文=西部謙司
世界中がバルセロナに注目するようになってから、すでに数年が経過している。
メッシのいないバルサのようなスペイン代表との相乗効果で、バルサ・スタイルは戦術の大きな流れを作るに至った。あのサッカーが好きな人も嫌いな人も、無視できない存在になった。
模倣を試みたチームも数知れない。イタリアのASローマが、バルサBの監督だったルイス・エンリケを招聘して“バルサ化”にチャレンジしたこともあったし、プレミアリーグのスウォンジーはブレンダン・ロジャーズ、ミカエル・ラウドルップと監督を代えながらも一貫したポゼッション・スタイルを指向していた。
カテナチオの国であるイタリア、ロングボールの伝統があるイングランドで、ローマやスウォンジーは異色の存在だった。しかし、それもそう珍しくないと思えるぐらい、バルサ化は大きな潮流になっていた。日本にもバルサ・スタイルの影響はある。選手もコーチもバルサのサッカーを素通りすることはできず、コピーに走らないまでも何らかの影響は受けている。
実は、Jリーグのクラブがバルサの完全コピーを試みたことがあった。
1998年、この年で消滅してしまった横浜フリューゲルスである。バルサ・スタイルの骨格である“ドリームチーム”で、ヨハン・クライフ監督の補佐役を務めたカルレス・レシャックを監督に招聘していた。
(中略)
ドリームチームは現在のバルサの土台になっている。レシャックはバルサの名選手で、その後クライフの参謀役となり、監督や育成部門の長を務めるなど、クラブの生き字引のような人物だった。横浜フリューゲルスの後はスペインに戻ってバルサの監督も務めたし、育成の仕事をしているときにメッシと契約したのもこの人だった。バルサ・スタイルを導入するには、これ以上のガイド役はいないといっていい。今にして思えば、世界に先駆けての野心的なプロジェクトだったわけだ。
1998年に“今のバルサ”は存在しない。今のバルサとは、2008年のジョゼップ・グアルディオラ監督からのバルサだ。メッシやチャビがいて、「これぞバルサだ」とカタルーニャの人々が認めるチームだが、実はそれ以前に誰もそんなバルサを見たことはない。グアルディオラ監督がドリームチームと同じ原則でチームを作ったのは確かだが、彼のバルサはドリームチームよりもずっと強く、完璧である。クライフとレシャックのチームは伝説化しているが、ポゼッションが70パーセントを超えることなど滅多になかったし、守備は今のバルサと比べれば相当に粗かった。時代が違うとはいえ、完成度に差があるのだ。
むしろ、現在のバルサがあるからこそ、ドリームチームの価値が再認識されているところもあると思う。あのチームが目指していたもの、実現されなかった理想が、実はこれだったのかと今になって気づくからだ。
横浜フリューゲルスの試みの斬新さも、今になってみればという話である。
(こちらのコラムは書籍「Jリーグの戦術はガラパゴスか最先端か」から抜粋しております)