“元ジュディマリ”TAKUYAと岩本義弘のフットボール談義…厳しさはセルジオ越後氏以上!?


[写真]=兼子愼一郎

 20世紀末、日本のミュージックシーンに旋風を巻き起こしたバンドがあった。1993年9月にデビューした「JUDY AND MARY」は、2001年3月の解散まで数々のヒット曲を飛ばして一時代を築いた。

「クラシック」や「くじら12号」、「イロトリドリ ノ セカイ」といった代表曲の作曲・作詞を手がけたギタリストであるTAKUYA氏は、自他ともに認める無類のフットボールフリーク。自身でもボールを蹴ることはもちろん、バンド時代や音楽プロデューサーとして活躍する現在も、世界中のフットボールを追いかけている。

 国内外問わない造詣の深さには、サッカーキング統括編集長の岩本義弘も驚くばかり。長年に渡ってフットボールに深い愛情を注いできた2人が、その魅力を余すところなく語り尽くす。

TAKUYA「1週間で3試合。空き時間は全てプレーに費やした」

岩本義弘(以下、岩本)「海外取材が多いということもあり、向こうでも結構真剣な試合をやったりしますが、TAKUYAさんは海外でもプレーされたりしますか?」

TAKUYA氏(以下、TAKUYA)「昔、レコーディングでロンドンに長期滞在していた時は、毎週末にプレーしていました。サッカーをやっている公園に行って、『チームに入れて』と声をかけながら、まさに現地の人たちに混ざっていました。若かったこともありますが、頑張っていましたね」

岩本「なるほど。日本のメディアでもチームがありますが、2010年の南アフリカ・ワールドカップですごく印象的だったのは、エリスパークという準々決勝の会場で、試合翌日にボールを蹴れたこと。ワールドカップの組織委員会、南アフリカと日本のメディアで試合をしましたが、そこで奇跡的にゴールを決めることができ、すごくテンションが上がりました。ただ、海外は草サッカーでも激しい。平気で削ってきたりもします」

TAKUYA「削り方はすごかった。今でも価値観が違うなと思うこともあって、一緒にプレーしていた中のゴツイ黒人が、すね当てを2枚入れていたんですよ。その理由で、『この方が足が太く見えるだろう』と言われて(笑)」

岩本「日本だと軽いほうがいいとか、なるべく邪魔にならないように小さいものにしますよね」

TAKUYA「それなのに、『強そうだろう』と言われて、文化が違うなと。そのセリフは、鮮明に覚えています。ちょうど1998年のフランス・ワールドカップの頃にヨーロッパに行くようになり、スタジアム観戦もよくしました。色んなサッカー関係者とも、現地では日本人が少ないので仲良くなりました。当時はアーティストでサッカーをしている人が少なかったこともあって、そこから日本でのチャリティーマッチやOB戦に誘われるようになりました」

岩本「すごく印象深いです。今は著名な方もよくプレーするようになりましたが、TAKUYAさんは先がけという存在ですよね」

TAKUYA「あの頃、空いている時間は全てサッカーに費やして、死ぬほどプレーしていたというぐらいです」

岩本「音楽かサッカーか、という感じでしたか?」

TAKUYA「そうですね。1週間に3試合やっているときもあって、『Jリーガーより多いね』と言われることもありました」

岩本「Jリーガーは最大で2試合ですからね。出場されたチャリティーマッチなどで思い出深い試合はありますか?」

TAKUYA「思い出深いのは色々ありますが、神戸総合運動公園ユニバー記念競技場で行われた永島昭浩さんの引退試合ですかね。僕もゴールできて、あれがサッカーでの一番のピークで気持ちよかったです。サッカー専門誌の今週あった試合という欄に、得点者TAKUYAと載っていて、購入した2冊はまだとってあります」

岩本「お客さんもたくさん入っている中でゴールはすごいですね」

TAKUYA「控室に入って加茂さんがいたのは冷や冷やものだった(笑)」

TAKUYA「冷や冷やものだったのは、マリノスOB対ヴェルディOBの試合。僕はマリノス側で呼ばれて、控室に入っていったら監督が加茂(周)さんでした(笑)」

岩本「すごいじゃないですか。日本代表監督をやられた後ですよね?」

TAKUYA「そうです。それでロッカーの隣が呂比須ワグナーさんで、木村和司さんとかもいらっしゃって。しっかり戦術があって、『そこやってね』と」

岩本「周りも元日本代表クラスで、加茂監督がやるミーティングにアーティストとして入るとは」

TAKUYA「普段は誰かが適当に決めていく感じですが、監督がいたのはその一回だけだと思います。さすがに『僕は何をすればいいですか』と聞きましたね(笑)」

TAKUYA「ステージでは努力以上のことは出せない」

TAKUYA「ステージで努力以上のことは出せない」

岩本「アーティストとしては緊張されないと思いますが、サッカーをプレーする時は緊張されたりしますか」

TAKUYA「アーティストとしても、ステージに立って自分が努力してきた以上のことは出せません。ですから、過度に夢も持っていませんし、長年やっているとコツコツ走った先に神様が贈りものみたいなパスやチャンスをくれると思います。ボーっとしているときには、そういうことは絶対ないです。僕も肝っ玉がおかしいのか、緊張はそうでもないですね」

岩本「トップアーティストの方たちは、正直言うと一般人と感覚が違いそうです。普通は全然異なる分野だと緊張しそうですけど、TAKUYAさんは頭の回路が違うんでしょうね。ちなみに、プレーしていて大けがはありましたか?」

TAKUYA「小さなけがですけど、僕にとって一番大きかったのは、接触で小指をけがしたことです」

岩本「指は商売道具ですから、めちゃくちゃデカいけがじゃないですか」

TAKUYA「大事件で、回復するまで3年から5年くらいかかりました。今でも少しおかしいですが、僕にとって一番大きなけがですね。足もじん帯を切ったこともありましたが、当時はバンドでライブを回っている最中で、スポーツでけがしたとは言えませんでした。患部に痛み止めの注射を打って、病院で叫んでいたことは何度かありますね」

岩本「僕もこれまで大きなけがはありませんでしたが、去年に左ひざの腱を切ってしまいました。それまでは1週間に2、3回プレーしていましたが、1年間ほとんどボールを蹴れなかったので、やはり健康は大事だと思いました。ところで、指をけがしたのは手をついたときですか、踏まれたとか?」

TAKUYA「確か相手のユニフォームにひっかかったんですよ。それで持っていかれて。ロンドン時代でしたが、救急車に乗って病院に入りましたが、『ちょっと待っててくれ』と言われて。そうしたらFAカップの決勝が始まり、見終わった頃に呼ばれたので90分待ちました(笑)」

岩本「TAKUYAさんはセルジオ越後さんと同格以上に厳しい(笑)」

TAKUYA「世界の一線級の選手たちが、すごい身体能力でガチガチにやりあっているのに対して、日本はアジアの枠に入っている限り、どうしてもそういうレベルのマジな試合をする機会は少ないので、僕らの立ち位置はなかなか厳しい」

岩本「地理的な部分もありますからね。ただ、アーセナルなんかは選手たちはみんなスマートで上手くても、すごく激しい」

TAKUYA「ヨーロッパのチームでも11人全員がイケイケのゴツイ選手ばかりでもバランスが悪くて、そこで華奢でも頭のいい選手が一人でもいるとチームが回り出すので、日本人選手はまさにそのポジションで使われていることが多い」

岩本「今は、サイドの選手が世界中で活躍するようになりました」

TAKUYA「長友(佑都)君、内田(篤人)君とかは信じられないくらいです。昔はサイドバックの問題について、『いつ生まれてくるんだ』と言われていましたから。それと、今の監督さん(ヴァイッド・ハリルホジッチ)のことは、『あの人はいいな』と結構推しています」

岩本「とにかくピッチの上の情熱、激しさを明確に出せという話をしているところがいいですね。それに育成年代も見に行っていますから、日本サッカー全体が変わるきっかけにもなってくれるのではないかと期待します。TAKUYAさんはtwitterでも、代表戦の時は厳しいことをつぶやきますよね」

TAKUYA「厳しいですよ、すごく」

岩本「やはり長年見られているので、セルジオ越後さんと同格以上に厳しいと感じます(笑)」

TAKUYA「セルジオさんとは昔、一度だけ飲んだことがあります。すごく話は合いましたね」

岩本「タイプとしては、どういう選手が好きですか?」

TAKUYA「(ディエゴ)マラドーナはスーパースターだと思いますが、個人的な趣味だと(デニス)ベルカンプかな。実際に見たら別格で、トラップからフェイントまで含めてちょっと信じられないほどでした。人と発想が違うというか、すごく頭がよさそうで、少し偏屈そうなところも」

岩本「僕はベルカンプも好きですが、ロベルト・バッジョが大好きで。バッジョもベルカンプも、後ろから来るボールを『どうやって止めているの』と思うぐらいのトラップをしますよね。ベルカンプはフランス・ワールドカップのアルゼンチン戦での有名なトラップがありますが、平気でやってのけますから」

TAKUYA「バッジョについては、フランス・ワールドカップの初戦のチリ戦かな。アメリカ・ワールドカップの決勝で外して以来となるPKを蹴るバッジョを、ちょうどゴール裏から見ました」

岩本「バッジョに関しては、イタリアサッカーの専門誌で1年間連載をやりましたが、初めて会った時は本当に感動しました。部屋に入ると、スタッフ全員といきなり握手をしてくれました。あれほどのスーパースターなのに、サインでも『もう書くものはないのか』というぐらいで、器の大きさをすごく感じました」

TAKUYA「カジノでスロットを打ったら、バレージの隣だった(笑)」

TAKUYA「イタリアの選手は、かっこいい選手が多いですよね。1998年になる年越しはモナコにいましたが、満席だったカジノのスロットに偶然座れたら、(フランコ)バレージの隣だったこともありました(笑)」

岩本「本当ですか(笑)。バレージの隣でスロットを打つなんて、ものすごい偶然ですね」

TAKUYA「向こうからすれば『日本はサッカーをやっているのか』ぐらいでしたが、今度のフランス・ワールドカップに日本も出場するという話をしたら、『おお、そうなのか、やったな』と。『どことやるんだ』と聞かれ、アルゼンチンと言ったら『ノーン』と言っていました。ただ、帰りに『もう行くから』ということで、余っていたコインをくれました(笑)」

岩本「バレージにコインをもらうとはすごい。それにしても、サッカーとは色んなところで縁があるんですね。ここまで長くサッカーを見られている方もいませんから、今後も違う企画でもお願いしたいです」

TAKUYA「こちらこそ、是非!」

対談者プロフィール
TAKUYA(右)
1971年生まれ 京都市出身 元「JUDY AND MARY」のギタリストであり、 現在はプロデューサー/ソングライターとしての活動と共に 『商店街バンド』『TAKUYA and the Cloud Collectors』等で活躍中。自他ともに認めるサッカー好き。Jリーグエキジビジョンマッチでのプレー、海外観戦歴共に多数。

岩本 義弘(左)
株式会社フロムワン代表取締役社長。サッカーキング統括編集長。ワールドサッカーキング、Jリーグサッカーキング、サムライサッカーキング編集人。国内外のサッカー選手への豊富なインタビュー経験がある。セリエAやブラジルリーグの中継解説としても活躍中。

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