[ワールドサッカーキング6月号掲載]
1月の移籍発表から4カ月。スティーヴン・ジェラードの周囲は退団を惜しむ声と、その偉大なキャリアに対する称賛の声で溢れている。リヴァプールでの17年間には歓喜と同じくらい失望も含まれているが、どれほど苦難に直面しても、ファンからの愛情が絶えることはなかった。誰よりも愛されたキャプテン―その魅力の本質を解き明かす。
文=寺沢 薫
写真=ゲッティ イメージズ
頭ではなくハートでプレーする選手
スティーヴン・ジェラードは、なぜこんなにも愛されるのか。言い換えれば、なぜこんなにも魅力的なのか。彼のキャリアにおける“光”の部分だけを見ていては、恐らくその理由を解き明かすことはできないだろう。そう、ジェラードを理解するヒントは“影”の中にこそ潜んでいる。
もちろん“光”の部分は申し分ない。リヴァプールという名門クラブで17年間も主役を務め、他の誰よりもファンと喜びをともにしてきた。2005年の「イスタンブールの奇跡」、06年FAカップの「ジェラード・ファイナル」、“テレビカメラにキス”という名セレブレーションが生まれた宿敵マンチェスター・ユナイテッドとの一戦……歓喜のシーンを数え上げればキリがない。だがその一方で、怒りや悲しみに満ちた苦しい姿もまた、ファンの脳裏に深く刻み込まれている。
例えば2013- 14シーズン終盤、チェルシー戦で彼が犯した“スリップ”は記憶に新しいところだ。今シーズンも、ユナイテッド戦に後半から登場し、わずか38秒でレッドカードを受けるショッキングな退場劇があった。
思い起こせば、キャリア初の退場となったのもマージーサイド・ダービーの大一番だった。若手時代のジェラードはあり余るエネルギーをコントロールできないせいか、しばしば乱暴なプレーに走って批判を浴びていたものだ。
2000年代後半には、アメリカ人オーナーのトム・ヒックスとジョージ・ジレットが負債を抱え込み、クラブの混乱が泥沼化した時期があった。当時のジェラードはファンと同じように苛立ち、あるいは物憂げな表情でアンフィールドに立っていた。仲間がミスをすれば不機嫌そうな顔で天を仰ぎ、キャプテンらしくない態度を見せたことも一度や二度ではなかった。
その大胆かつ豪快なプレースタイルからは想像しにくいが、ジェラードは繊細な人間だ。「感情的で、頭ではなくハートでプレーする選手」。ユース時代からの親友、ジェイミー・キャラガーはジェラードをそう評している。溢れるほどの闘志と感情の揺れは表裏一体だ。何度となくチームを救ったビッグプレーも、重要な場面での信じられないミスも、ある意味ではジェラードの熱すぎるハートがもたらした結果かもしれない。ハートはホットに、しかし頭はクールに。これが完璧なフットボーラーの条件だとするなら、残念ながらジェラードはそれに当てはまらない。
だが、ピッチに立つ選手に“完璧さ”を求めるファンがどれだけいるだろう? 自分たちと同じように情熱を燃やし、時に苛立ち、ミスを犯し、それでもなお不屈の意志で立ち上がる。そんな姿を、スタジアムのファンは声を枯らしてサポートしてきた。自分たちの声がジェラードの背中を押し、奇跡を起こしてくれると信じて。「ハートでプレーするから、特別なことができる。彼はそうやって、何度も信じられないプレーでチームを救ってきたんだ」。キャラガーはかつてのチームメートをそう称賛している。
移籍騒動から一転、更に存在感を増す
「このクラブを愛している。持てる力のすべてを捧げる」。こうした言葉が何の意味も持たないことは、フットボールファンなら誰もが知っている。シティ時代のエマニュエル・アデバヨールですら、クラブに忠誠を誓うと語っていたのだから。だがジェラードは、そんなフットボール界の数少ない例外だ。レアル・マドリードやバイエルンといった世界的な強豪クラブをもってしても、彼を手に入れることはできなかった。
もっとも、ジェラードは一時期だけ真剣に移籍を考えたことがある。ユーロ2004の合宿中、“ロシア革命”直後のチェルシーから破格のオファーが届いた。リヴァプールがプレミアリーグのタイトル争いに絡めない状況で、彼の心が揺れたことは想像に難くない。ユーロでのプレーは明らかに精彩を欠いていた。
結局、この夏はアンフィールドのトロフィールームで残留を宣言すると、続く04-05シーズンを「イスタンブールの夜」で締めくくり、「こんな素晴らしい夜の後にチームを出るわけがない」と発言してファンを安堵させた。しかし、クラブが契約延長交渉にもたつく間に、ジェラードの心は再びオファーを出してきたチェルシーへ傾く。
05年7月4日、「これまでで最もつらい決断だった」という言葉とともに、彼はチェルシーへの移籍をクラブにリクエストする。リヴァプールが許可を出せば、彼のチェルシー行きは現実のものになるところだった。この日、クラブの全関係者が眠れない夜を過ごしたに違いない。
しかし、翌日の昼に再びサプライズが待っていた。青いシャツを着ることができるかと自問自答し、頭痛薬を服用するほど悩み抜いた結果、彼は改めてリヴァプールに忠誠を誓うことを決心したのだ。数日後には、盟友キャラガーとともに新契約にサイン。8番のユニフォームを燃やすファンまで現れた“移籍狂想曲”はこうして幕を閉じた。そして、リヴァプールを「自分の手で選び取った」ジェラードは、ここから更に存在感を増していく。
迎えた新シーズンのパフォーマンスは圧巻だった。当時の監督ラファエル・ベニテスは、ジェラードの退団を覚悟してセントラルMFにモハメド・シソコを獲得した一方で、右サイドの補強を見送っていた。そこで残留したジェラードを右サイドに配置すると、若手時代は「窮屈だ」と嫌っていたポジションで、彼は躍動する。チームは開幕直後こそ不調でボトムハーフをさまよったが、キャプテンの好調に導かれるように上昇曲線を描いた。ジェラードは決定力不足のチームを中盤から助け、自身初のリーグ戦2桁ゴールと、PFA年間最優秀選手賞を勝ち取った。
このシーズンの締めくくりが、あの有名な「ジェラード・ファイナル」だ。FAカップ決勝、ウェストハムを相手に1点ビハインドで迎えた後半アディショナルタイム。相手のクリアボールをダイレクトで叩いた35メートルの美しい同点弾は、不屈の精神と大胆さ、シュートスキルのすべてが融合した、あまりにも彼らしいゴールだった。自らのパフォーマンスで移籍騒動の混乱を吹き飛ばした05-06シーズンは、まるでジェラードの魅力を凝縮したような1年だった。
巻頭コラム『ジェラードが愛される理由』の続きは、ワールドサッカーキング6月号でチェック!