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哲学的志向のフットボーラー、西村卓朗を巡る物語「第十ニ回 新チーム」

2015.06.26

「あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機にしてはいけない。また無為に執着してはならぬ」(『バガヴァッド・ギーター』)

文●川本梅花

〔登場人物〕
ぼく…西村卓朗(USSF 2部リーグ クリスタルパレス・ボルティモア所属)

1.契約破棄を告げる電話

「日本は今、朝だね」
それは思いがけない人からの電話だった。

 電話の相手は、ぼくが所属するポートランド・ティンバーズの通訳をしているアメリカ人である。日本人の奥さんを持つ彼は、いつもの流暢な日本語でいっきに言葉を重ねてきた。
「実はチーム事情が変わってね。今季の契約はできないことになったんだ。チームは君と仮契約をしたけど、それは破棄されることになった。力になれなくてすまない」

 ぼくは最初、彼が何を言っているのか、すぐに飲み込めなかった。
「仮契約が破棄されたって……どういうことですか?」
「USLが分裂して、2つのグループに分かれることになった。そのことは君も把握しているよね。そこで、外国人枠が7人だったところを5人に減らされた。じゃあ、誰を残して誰を外すのかという話し合いになって……残念だけど……構想外になったのが君だったんだ。そのことを伝えるために、嫌な役をぼくが引き受けたのさ」

 USLは、元々、プレミアリーグのMSLに対抗する組織として設立された。USLの一部のグループは、いつまでたっても自分たちの組織がMSLの下のカテゴリーという扱いに不満を持っていた。そこで、USLの造反組は、MSLと同等のカテゴリーになりたくて、まったく別の組織を立ち上げて独立しようとする。しかし、様々な弊害によって、最終的にその企ては失敗する。

 仮に、もし組織が分裂しても今季の仮契約を済ませていたのだから、それが破棄されることはない、とぼくはたかをくくっていた。
「急にそんなことを言われても、もう1月中旬だし、これからチームを探すのは難しいですよ。アメリカのチームで、どこか他のところはないんですか?」
「ぼくもいろいろ当たってみるけど、君も日本のチームを探してみてよ」 
電話を切ってしばらくしてから、いま自分の置かれている厳しい状況がやっと把握できた。少し時間をおいて、同じチームだった鈴木隆行に連絡する。
「隆行さん、チームから契約破棄されました」
彼にそう切り出して、伝えられたチーム事情と自分の心情を話す。
「がたがた言ってもしょうがないから、とにかく早くチームを探した方がいいよ」
「そうですね。がたがた言ってもしょうがないですね」
 と、ぼくは彼の言葉を繰り返すだけだった。

 昨年末に日本に帰国してから、トレーニングを兼ねて湘南のフットサルクラブに所属させてもらった。そこでは、公式戦に2試合出場する機会に恵まれた。フットサルは、体の動きからボール扱いにいたるまで、細かいところでフットボールとは違っていた。しかし、それらの技術的な部分やトレーニングにおいては、フットボールに取り入れられるものがあって、ぼくにとってはとても貴重な機会を持てた。3月までフットサルを続けて、そこでコンディションを整えて、ポートランドに出発しようと考えていたのだが、突然の契約破棄によって、すべての計画は振り出しに戻ってしまう。

 ぼくは、その日すぐに、知り合いのJリーグ関係者に連絡をした。しかし、どこのクラブもすでにチーム編成が決まっていたので、今からだと難しいという返事だった。それならば、練習参加だけでもさせてくれるところはないものか、と訊ねてみた。たまたまその時に、ぼくがユース時代にお世話になった三菱養和のOB会があって、何人かのコーチや先輩に相談した。それから数日後に、大分トリニータから連絡があった。28日からの練習に来られるか、という知らせだった。

 大分でのトライアウトのための準備は十分だった。ポートランドとの契約破棄はショックだったが、自分が引退する前にJリーグに復帰したいと考えていたので、これはちょうどいいきっかけなるかもしれない、と気持ちを切り替えていた。しかし、またしても一本の電話によって、ぼくのサッカー人生は、1つの決断を求められることになった。それは大分に出発する4日前のことである。

2.別チームからの誘いの電話

「日本は今、朝だね」
 2週間前と同じあいさつで相手も同じ人だった。

「今日の電話は、君にとって嬉しい知らせだよ」
 と、アメリカ人の彼は声を張りながら話す。
「クリスタルパレス・ボルティモアが君に興味を持っているんだ。クラブからコンタクトを取ってくれと、ぼくに先日連絡があってね」
「そうですか……それで条件は?」
 ぼくはついこの間、彼から伝えられた「今季の契約はできないことになった」というフレーズが耳に残っていて、契約書を見るまで信用できないという思いがあった。だから、ぼくの発した「そうですか」という言葉は、相当に懐疑的な響きを持っていたのだろう。

 彼は、そうしたぼくの声を打ち消すようにこう話をした。
「ボルティモアは1月31日には返事が欲しいと言っているんだ。だから契約書は、30日に日本に届くから、それを見て返事をすればいいから。だだし、リミットは31日までだからね」

 あとから知らされたことだが、実は、外国人枠が5人になったというのはでまかせで、はじめから変わらずに7人のままだったそうだ。結局、ポートランドは、メンバーを入れ替えたかっただけで、ぼくへのボルティモアからのオファも、両クラブ間の出来レースだったのではないのか、というものであった。それならばそれで、はじめから本当のことをストレートに伝えてくれれば良かったのにと思う。それに、大分でのトライアウト直前に、アメリカの別なチームから誘いがあると言われても、また気持ちを切り替えなければいけないし、それも移籍先を決定するまでに数日しか残されていない。そして、28日からのたった4日間で、大分にはトライアウトの合否を決めてもらわなければいけない。切羽詰まった状況で、決断するにはあまりにも事が大きすぎる。

《今やらなければいけないことに集中しなければならない》。 
そうやって何度も自分に言い聞かせて、ぼくは大分に出発することにした。

 トライアウトに参加したのは、ぼくを入れて6人だった。Jリーグ経験者が3人。韓国人が2人。大学生が1人。練習初日に走力テストが行なわれた。2日目の午後にトライアウト生だけのミニゲームがある。3日目にはゲーム形式の練習があって、4日目は地元の大学生との練習試合がもたれた。合否のポイントになったのは、2日目のトライアウト生だけで行なわれた4対4のシュートゲームだろう。ここでクラブは個人の力量を見ようとしていることがうかがえ知れた。しかし、ぼくも含めて、6人全員の体がキレがなく、誰1人としてアピールできていない。《こいつ欲しい》とか《こいつできるな》という動きはできなかった。

 ぼくは、大分にボルティモアからのオファの話を伝えて、31日までに合否を決めて欲しいとお願いした。大分からは、「もう少しプレーを見たいので、練習参加を延ばして欲しい」と依頼されたが、ボルティモアへの返事が迫っているので、現実的に練習を延長することは無理なことだった。「それならば」ということで、大分でのトライアウトに終わりを告げられることになった。

 もしも、ボルティモアからオファがなかったら、大分の練習日数を延ばすことができて、合否はどうなっていたのかわからなかったかもしれない。ポートランドとの仮契約がはじめからなかったら、もっと早くからJリーグのクラブに働きかけていれたのに。今回の出来事にいろいろと思うことはあるのだが、鈴木が話をしたように「がたがた言ってもしょうがない」と自分に何度も心で呟いた。

 ぼくは、最近、いろんなことを考える。まず1つは、フットサルに参加して感じたことだった。これは当たり前のことかもしれないが、《ぼくがやりたいのはサッカーだったんだな》ということ。確かに、フットサルに挑戦して学んだことはたくさんあった。日本にいる間、コンディションを整えさせてもらえたし、サッカーとは違った面白さも知ることができた。そうした環境に身を置いていたことで、逆に、サッカーへの想いが強い自分を再確認したのだ。

 次に2つ目は、ポートランドとの仮契約から契約破棄へ、そして大分でのトライアウトを経験してボルティモアとの新たな契約ということに関してである。《こうしていま与えられている状況はどうしてなのだろうか》ということ。思ったように、考えたように物事が運ばない時に、過去のぼくはどうしていたのだろうかと考える。最近、「自分らしさ」とか「自分ってなんだろう」としばしば思ってしまう。そんな時にぼくは、自分の過去の行いを頼りにする。苦しかった時、過去の自分はどうやって苦境を乗り越えたのだろうか、と。そして、ふと、ある友人に出した一通の手紙の内容を思い出すことがある。彼の名は、小松和彦と言って、大学のサッカー部で同級生だった人物だ。
 
 彼に手紙を出してから10年が経った今、ぼくは再び彼に手紙を書こうとしている。

3.10年の時を超えて綴った手紙

「お元気ですか。
 ぼくが小松に手紙を書くのは、10年ぶりになります。あの時の手紙は、ドイツのクラブチームでプレーする君に宛てて書いたものでした。
 今回の手紙は、ぼく自身のことに関して、君に聞いてもらいことがあって、こうして書いているのです。君はドイツでプレーしていた時に、自分をどのように振り返りましたか?

 ぼくは、《自分らしさ》とか《自分ってなんだろう》とよく考えることがあります。ぼくはどういったタイプの人間だったのだろうか、と。ぼくは、内面を問題にして、内側に突き詰めていくタイプの人間だと思っていたんです。内向的というやつです。そうした人間が、結婚をして、アメリカでプレーしたことで、新たに人間関係が広がって、外向的にならざるを得なくなりました。いろいろな人との付き合いを通して、自分はもしかして内向的ではなく、外向的なのではないかと思うようになったのです。つまり、社交的に社会的にならなければいけないと感じて、気付いたら自分の行動範囲が広がっていたのです。本来は内向的な性格なので、細かい点まで行き届かなくて……まあ、気遣いが行き届かないと言えばいいのか、とにかくそのことで人を不愉快にしてしまったことがあったようなのです。最近、『連絡をきちんとしろよ』と日本にいる諸先輩方に叱られたのです。ぼくが元々、ネが明るくて細々していなかったなら、『あいつはいつもしょうがないな』と言われて済むこともあったかもしれないのですが、めまぐるしく変化したここ1・2年のぼくの環境の中で、ぼく自身が《あっぷあっぷだ》というか、きちんとフォローできずに、やり過ごしてきたことがあったのです。

 ここ数年間を振り返ってみると、結婚することで1人の女性を受け入れて、その彼女に信頼を得るために頑張らなければと気張ってしまって、時間的にもできそうにもないことに手をつけて、その結果、中途半端な状態になってしまったことが多々あって、そのことを他者から言われ、自分の気持ちが散漫になっていることを知らされたのです。
 海外生活を経験している小松ならわかってもらえると思うのですが、海外で生活するということは、かなり強固な精神を持って何事にも取り組まなければいけない。そうしないと、そこでの評価も得られないし、異文化と接触して得られる新しい価値観を実感することもできない、とぼくは感じています。

 最近、そう、本当に最近なのですが、ここにきて引退という言葉の意味を考えるようになりました。

 プロスポーツ選手が現役を引退する理由には2つのことがあると思うのです。まず1つは経済的なものです。

 今までは、12ヵ月分の給料をもらいながら生活してきました。プロのスポーツ選手として労働が生活の支えになっていました。でも去年の末から、給料がでない中で、コンディションを維持して、次のチームへの準備をしなければならなかったのです。32歳になって、給料をもらわずに、サッカーをやるということの大変さをしみじみ実感しています。それには、妻や家族の理解がないとダメなんですが、幸い奥さんは『何とか最後まで頑張って』と言ってくれので、こうしたことができるのです。だから日々、サッカーに対する努力を怠れないと思って取り組んでいます。そうした姿を見せられないと、当然、周りの人も納得しないだろうな、と感じるのです。

 もう1つは、年齢的なものです。

 コンディションがなかなか戻らない時があります。ぼくはどんな時でも、これだけやって試合に出られないのならしかたがない、というところまで自分を追い込みます。そうしたことの積み重ねで、まだなんとかなるんじゃないか、と今も思えているのです。最善の準備をつくしてそれでも身体が動かない、と自分で感じたとき……ぼくは、プロ選手としてサッカーとお別れする時だと思っています。

 実は、この間、大分トリニータのトライアウトを受けたんです。確か、小松もドイツから戻ってきた時に、Jリーグのクラブのトライアウトを受けましたね。結局ぼくは、再びアメリカのチームでプレーすることになったのですが、本当は日本でプレーできたら最高だと思うけんだけど、それがアメリカだったのは、まだアメリカでやり残したことがあったからなのかなと思っています。《ぼくは、まだできるんだ》というものを自分の中でも感じたいし、人に認めさせたいのです。人は、『ローカルな移籍なんかしてどうなるんだ』と言うかもしれませんが、『この歳になっても、まだできるんだよ』というのを見せたいのです。今こそ勝負をかけて、自分のパフォーマンスを出し切ることが大切ですよね。

 これもよく思うことなのですが、サッカーは相対的なスポーツだな、と。周りと自分の距離を計りながら、自分の技術を究めていくものだと、ぼくは確信しているのです。なぜなら、自分がJリーグという恵まれた環境でプレーしていた時と、いま置かれている自分の状況での思いは、サッカーに対して何も変わらなかったことをぼくは知ったからです。どこでも、どんなところでも、いくつになろうとも、自分の意識しだいで上手くなれるんだと思ったんです。

 今までは、自分のことだけ考えてサッカーをやってきました。自分が好きな事を続けていくことと、生きることは別なことだと思えるのです。いつも頭をよぎるのは、『あと一回、怪我をしたら終わりだな』ということです。いま、三菱養和で練習するために電車に乗るのですが、その瞬間にも、『もし怪我をしたら終わりだな』と思ってしまいます。
 なんだか、取りとめのない話になってしまいました。
 ぼくは、2月25日にアメリカに出発します。
 また、いつか会いましょう。

敬具 
西村 卓朗」

つづく

「第十一回 契約更新」
「第十回 荒野」
「第九回 新天地」
「第八回 旅立ち」
「第七回 結婚」
「第六回 同級生」
「第五回 同期」
「第四回 家族」
「第三回 涙」
「第ニ回 ライバル」
「第一回 手紙」

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