「まるで“おとぎ話”のような時間だった。本当にファンタスティックな呪文をかけられているようだったよ。多くの偉大なプレーヤーに囲まれて、私は心から幸せだ」
11月6日にマンチェスター・ユナイテッドでの指揮官25周年を迎えたサー・アレックス・ファーガソンは、25年の歩みをそう振り返った。
1986年11月6日の就任から25年、ファーガソンはユナイテッドの監督として、12回のリーグ優勝、5度のFAカップ制覇、4度のリーグカップ優勝、そして、チャンピオンズリーグのタイトルを2度獲得している。
アーセナルの指揮官として、長きにわたりライバル関係を築くアルセーヌ・ヴェンゲルはファーガソンの“偉業”を次のようにたたえた。
「注目すべきは、ファーガソンのクオリティーと一貫性、何より安定感にある。格が違うよ。同じクラブを25年も率いて、それもトップレベルを維持し続けられる人間なんて彼の他にいない。彼と同じような記録を達成する人物なんて、今後、二度と現れることはないんじゃないかな」
また、ファーガソンを囲む、囲んだ偉大なプレーヤーたちも、この指揮官への賛辞を惜しまない。
現エース、ウェイン・ルーニーは語る。「サー・アレックスは偉大な監督であり、人間的にも偉大な人物だ。彼がいなければ僕はユナイテッドに来なかったし、今このチームにもいないだろう」
「僕が子どものころから彼はユナイテッドの監督だった。試合前や試合後のインタビューをいつもテレビで見ていたよ。そして今は、彼の下で彼のために戦っている。本当に光栄なことだよ」
「25年間一つのチームを率い、これだけの成績を残せる監督は他にいないと思う。あと10年は十分できるはずだよ。彼のように情熱的で、常に高い理想を掲げる人物を他に見たことがない。これまでに彼が残してきた功績は、ユナイテッドだけではなく、フットボール全体にとって、素晴らしい影響を与え続けている」
また、2008-09シーズンまでユナイテッド伝統の“7番”を背負い、ルーニーとともに攻撃の中核を担ったクリスティアーノ・ロナウドはファーガソンを「自分のキャリアの中でとても重要な存在」だと断言する。「僕の成功は彼がいてこそ。素晴らしい人物だし、素晴らしい監督だ。僕のサッカー人生の中で間違いなく大切な人物の一人だね」
そして、“7番”の前任者、デイヴィッド・ベッカムはサー・アレックスとの思い出を次のように表現した。
「(監督との初対面の印象は?)確か、僕が11歳のころで、ボビー・チャールトンのサッカースクールに通っていた時のことだったかな。スクールの最終日にオールド・トラッフォードで彼とまた会って、それからユナイテッドの試合に頻繁に招待してくれるようになった。ロンドンで試合がある日は必ずといっていいほどにね。それから程なくして、ドレッシングルームに連れて行ってくれたり、チームグッズをお土産にプレゼントしてくれた。すごくうれしかったよ。小さいころからユナイテッドの大ファンだったし、当時から、できればユナイテッドのためにプレーしてみたいと夢見ていた。それが監督の下でなら、なおさら夢がかなったような気分になると思っていたしね」
「僕のことを気にかけてくれたし、選手たちとも交流させてもらって、特別な気分にさせてもらった。当時はチームの一員ではなかったけど、まるで本当にユナイテッドの一員になったような気分になって、それでよりユナイテッドに入団したいという気持ちが強くなった。でも、監督やチームが僕にしてくれたようなことを他の子供たちにしたら、誰だってユナイテッドのためにプレーしたいと思うだろうね。僕は子供のころの夢がかなってラッキーだったけど、それをかなえてくれたのはボスだよ」
「監督は若い選手全員にとって、本当の父親のように接してくれていた。僕はロンドンからたった1人でマンチェスターに移ったんだけど、監督は父親のように僕を気にかけてくれた。時には厳しく、そして愛情が欲しいと思う時には常に側にいてくれた。彼は選手全員のためにいてくれる。常に『相談事があればいつでもオフィスに来い』と言ってくれていたけど、時々恐くてオフィスに入るのをためらったくらいさ。間違いなく監督以上の存在であり、僕ら選手全員のことを常に気にかけてくれている存在だね」
「(ベストの思い出は?)それは難しい質問だ。ユナイテッドでの時間は自分のキャリアにおいても最高のもので、自分のキャリアでもベストパフォーマンスを披露できていた時期だからね。そうだな、1つだけ挙げるとすれば、やっぱり初めてチームと契約した日かな。あれは僕の誕生日で、試合前にオールド・トラッフォードで契約したんだけど、監督がバースデーケーキを用意してくれていたんだ。あの時2人で撮った写真は、僕の中では非常に大切な1枚になっているよ。一緒に誕生日を祝ってくれてね。僕は家族と離れることを決断したけれども、ユナイテッドと契約した自分の決断は正しいと思っていた」
「トレブル(3冠)達成の時も思い出深い。あの時、チャンピオンズリーグ決勝のハーフタイム中に、『目の前にトロフィーがあるのに、取らずに帰るつもりか』と叱咤激励されたことをいまだに覚えている。結果、素晴らしい逆転勝利につながったからね。あとは僕らが初めてプレミアリーグ優勝を決めた時も印象に残っている。僕らは自分たちの実力を信じきれていなかったけど、監督はチームの力を100パーセント信じていた。本当に素晴らしい思い出ばかりさ。ただ、1つだけ選べと言われたら、やっぱりユナイテッドと契約したあの日を選ぶかな」
「(監督から受けた影響が成功につながったか?)そのとおりだと思う。厳密に言えば、両親と監督のおかげさ。両親のおかげでキャリアを始めることができたし、それから監督がさらに高いレベルの環境を与えてくれた。ユナイテッドでプレーすること、そしてイングランド代表に招集されたことなど、監督が僕に高いレベルでプレーする機会を与えてくれた。ブライトンでのデビュー戦(1992年9月)、オールド・トラッフォードでのガラタサライ戦がチャンピオンズリーグでのデビュー戦になったし、キャリア初ゴールもマークした。彼こそ僕が成功できた理由に他ならない。若い選手もみんなそう感じているはずだよ。監督がいなかったら今の自分はないとね」
「(25年間同じクラブの監督を務めることは?)現代のフットボールでは、あり得ないことじゃないかな。1つのクラブに対して、ここまでの忠誠心と尊敬の念を持っている監督は、今は存在しないと思う。25年という期間、そして近年チームが残した功績を見れば、ユナイテッドというクラブ、そしてファーガソン監督という人物を象徴しているような気がする。ただ、それだけの情熱を絶やさず、チームに高い安定感を与える人物が現れたら、こういう結果になるということじゃないかな」
「(ファーガソンが監督である理由は?)すべて。彼がやること、決断することは、すべてクラブやファンにとってベストだと思うからやっているだけのこと。もちろん、これまでに獲得してきたトロフィーや名声、結果も重要な要素だとは思う。ただ、監督が何をしてきたかが最も重要なはず。常にチームを第一に考え、獲得する選手全員がユナイテッドにフィットしている。監督は決して実績やパフォーマンスレベルだけで選手を獲得しない。ユナイテッドの精神に合うか、合わないかで判断しているんだ。僕自身のことを言わせてもらえれば、彼のような指導者の下で長くプレーできたことは誇りでしかない。フットボール史上最高の監督と共有した思い出は、一生忘れないだろうね」
さらに、ベッカムの前の“7番”、エリック・カントナは「シーズンを追うごとに、サー・アレックスはより強くなっていく。毎年老いていくにもかかわらず、今でも若い活力を保っている」と“キング”らしい言葉でファーガソンを表現する。
「魅力的な個性を持つ非常に強い人物で、世界で最も偉大な監督の一人だ。時には厳しい戦いもあり、毎日が素晴らしいものではない。非常に大事な試合に敗れることもあるが、彼はその状況をうまく処理することができる。彼は次の日、さらに強くなるために、その状況をどう活用できるかを考えている。自身の経験を使ってね」
最後にペーター・シュマイケルの言葉を紹介しよう。1999年のトレブル達成を最後にユナイテッドを去ったクラブ史にその名を残す守護神はファーガソンをこう表現する。
「監督は、大きな試合になればなるほどリラックスしている。試合前にチームで話し合いを行うけれど、全員が何をすれば良いかを理解していた。監督も特に指示を出さず、選手の自主性を重んじる雰囲気を作ってくれた。私たちは勝つために必要なことが何かを分かっているからね。監督は全員が『これは絶対プレーしたい試合』という風に考えるように導いてくれる。だから誰も緊張することなく試合に入れた。そういう雰囲気作りに関しても、監督は天才だよ」
「監督がチームで成し遂げてきたことを見れば、それだけの偉業かが分かる。私がこのクラブに来たときから20年がたつというのに、いまだに監督は昔と変わらない情熱をチームに注いでいる。こんなに長く変わらずにいられるなんて、すごいことだ。将来的には誰かが後継者になるだろうけれど、その人物はファーガソン監督の偉大さが身に染みるだろうね。当たり前のように監督は今もユナイテッドの指揮を執って、素晴らしいチームを作り続けている。この事実こそ、彼が『10億人に1人の人物』と呼ばれるゆえんだ」
◇ファーガソン25周年
・マンU監督就任25周年のファーガソン、“ベッカム世代”の再現を狙う
・ファーガソン監督の偉業を記念し「サー・アレックス・スタンド」誕生
◇ファーガソンの歴史と未来
・就任25周年のマンU・ファーガソン監督、ユーザー選出のベスト11が決定
・マンUでの25周年、名将ファーガソンの「不変のスタイル」と「進化へのチャレンジ」
【浅野祐介@asasukeno】1976年生まれ。『STREET JACK』、『Men's JOKER』でファッション誌の編集を5年。その後、『WORLD SOCCER KING』の副編集長を経て、『SOCCER KING(@SoccerKingJP)』の編集長に就任。『SOCCER GAME KING』ではCover&Cover Interviewページを担当。