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哲学的志向のフットボーラー、西村卓朗を巡る物語「第十七回 紙一重」

2015.07.15

「あらゆるできごとは、もしそれが意味をもつとすれば、それは矛盾をふくんでいるからである」(ヘンリー・ミラー『北回帰線』)

文●川本梅花

〔登場人物〕
ぼく…西村卓朗(コンサドーレ札幌 所属)
妻…西村有由
石崎さん…石崎信弘(コンサドーレ札幌 監督)
ゴンさん…中山雅史(コンサドーレ札幌 所属)
竜二…河合竜二(コンサドーレ札幌 所属)
宮澤…宮澤裕樹(コンサドーレ札幌 所属)

1.Jリーグ開幕戦でグラウンドに立つ

 3月は美しい月だ。冬の寒さと春の柔らかさを同時に兼ね備えた空気をグラウンドに運んでくる。しかし、この月は、美しさと同時に不安を覚える月でもある。なぜならば、Jリーグ開幕を迎える季節でもあるからだ。僕は、過去に開幕戦で何度かスタメン出場した経験があるのだが、毎回、すっきりした形で迎えられたことがなかった。それは、シーズン最初の公式戦ということから、いつも以上にチームも選手個人もプレッシャーを感じて試合に挑むからである。だから、試合ではチームのまとまりも選手のパフォーマンスも80パーセントくらい発揮できればいい方だと思っている。

 特に、コンサドーレ札幌では、肉体的にも精神的にもコントロールするのが難しいと感じていた。グアムキャンプから熊本キャンプまで約6週の長期間を過ごしたのちに、開幕試合のある愛媛に直接移動することになり、1度も本拠地の札幌に戻ることがない。
「札幌はきついよ。キャンプがこれだけ続くチームはないからな。ホームから離れているからオフがあっても常に家族に会えるわけでもないし。だから、選手はリフレッシュすることが難しいと思う。気持ちにメリハリをつけられているようでも、なかなかつかないもんだよ」と監督の石崎さんが話していたくらいだ。

 試合前日の宿泊先のホテルでチームミーティングがあり、翌日のスタメン発表が行われた。僕は、右SBで試合に出場することになった。Jリーグでのスタメンはいつ以来だろうか。あれはまだ、大宮アルディージャに在籍していた頃で、2008年の4月、ナビスコカップの対横浜F・マリノス戦に出場したときだった。それはちょうど3年前の出来事になる。〈試合途中でレッドカードをもらって退場させられた〉という苦い思い出が甦ってくる。あの日から、怪我もあって試合に使われなくなってしまった。

 ミーティングが終わって部屋に戻り、開幕戦の相手である愛媛FCとのゲームの展開をイメージする。「これがリーグ開幕戦だ」という緊張と長いキャンプでの精神的な疲労から〈チームは前半、なかなか流れに乗れないだろうな〉とふと頭をよぎる。でも、キャンプで繰り返されて鍛えられた守備戦術を支えに〈我慢強く戦えればきっとチャンスがくるだろう〉とも思う。僕個人としては、熊本キャンプに入ってからコンディションが上がっていくような感じはしなかった。いずれにせよ、〈プレシーズンで積み重ねたコンビネーションをどれだけ平常心でやり通せるかにかかっているんだな〉と鑑みて目を閉じると、開幕戦への不安は少しずつ消えていくように感じた。

 3月5日、愛媛FCとの開幕戦。ウォーミングアップでグラウンドに足を踏み入れると、芝生がなんだか重たい感じがした。グラウンダーで出したボールが勢いよく転がっていかない。インサイドキックやアウトサイドキックで足首とボールの接触感覚を確認する。大きな怪我もなく迎えられた開幕戦スタメンというチャンス。ここでアピールできれば、起用してくれた監督や応援してくれるサポーターや獲得してくれたGMに喜んでもらえる。〈よし! やってやるぞ〉と気合いを入れた僕は、右SBのポジションでキックオフを告げる主審の笛を待っていた。

2.愛媛FCの術中にはまったコンサドーレ札幌

 対戦相手の愛媛FCの戦術を攻略するために、札幌はいくつかのシュミレーションを立てて対策を練ってきた。札幌は、1?4?2?3?1のフォーメーションを採用して、一方で愛媛は1?4?4?2を敷く。

 まず、愛媛の両SBの関根永悟と三上卓哉が高い位置をとると予想した。その場合、愛媛のCHの田森大己が最終ラインに下がる。すると両CBの池田昇平と高杉亮太がサイドに開いて池田?田森?高杉の3人が並び3バックぎみになる。愛媛の両SBの関根と三上は高い位置にいるので、必然的に両SHの赤井秀一と杉浦恭平が中に絞ってポジションをとる局面が多くなる。愛媛の選手は中盤のエリアに2人のSBと1人のCH、2人のSHが揃うことになるので、そこで札幌は数的不利になってしまう。したがって、札幌は中盤のエリアを厚くするために、ミッドフィルダーの宮澤裕樹をあまり前に行かせ過ぎないようにする。さらに、愛媛のCHの越智亮介をケアする必要があるので、札幌は2人のCHの芳賀博信とブルーノの距離が離れないようにして守備にあたらなければならない。

 たとえば、愛媛の田森が下がって3バックになったときに、前からプレスをかけてボールを奪いたい場面があるとする。その際には、両サイドに開いたCBがボールを持ったならサイドハーフの砂川誠が近くのCBにプレスにいく。三上は前に上がってきて高い位置をとっているので、彼には僕がマークする。中に絞る杉浦に対してはCHのブルーノが見る。そして、越智に宮澤が下がってケアをする。このやり方が、愛媛の両SBが高い位置をとってきたときに、札幌が想定していた守り方である。

 もし仮に、両SBが高い位置をとってこないならば、左SBの三上には砂川がプレスをかけて、僕は杉浦をマークする機会が増える。中盤に位置する越智と田森は、ブルーノと芳賀が見ることになる。宮澤はそんなに中をケアする必要がなくなる。逆に、プレスをかけにいくならばトップ下のポジションから前に出ていき、内村と一緒になって相手の両CBにプレスをかけにいく場面を増やした方が、「積極的な守備」というテーマに沿っている。

 このような約束事がチームにはあって、プレシーズンの練習では何度も繰り返して確認してきた。だからグラウンドにいた選手全員が、当然、愛媛の左SBの三上は高いポジションをとるだろうと考えていた。しかし、実際にグラウンドで起こったことはそれとはまったく違っていたのである。

 試合開始から札幌の選手の動きはチグハグだった。あれだけ練習してきた連動的な動きが、誰も彼もができないで戸惑っている。決して浮き足立っているわけではないはずだ。でもなぜか、チ?ムとして連動したプレーができないでいる。僕は、ゲーム中に「どうして上手く機能しなんだ」と自問しながら、愛媛のCBから放り込まれたロングボールを追いかけていた。

 ハーフタイムのロッカールームでは、選手を前にして石崎さんの怒鳴り声が響く。
「お前ら、プレシーズンでなにをやってきたんだ! こんな試合をやるために練習してきたわけじゃないだろう」
 選手たち全員は、「どうして噛み合ないんだろう」という同じ認識の中にいた。そこで、選手みんなでいろいろと打開策を話し合う。すると宮澤が僕に語りかけてきた。
「俺、相手のストッパーにプレッシャーをかけに行ってもいいんですか?」
 彼の話を聞いて、〈あっ、そうだったのか〉と言葉を失う。
〈三上は高いポジションをとるために前に上がってきていなかったのか〉と前半の状況を思い出してみた。
「相手の左SBはポジションが低いままで、上がってこないんですよ」
 と宮澤が言葉を続けた。
〈なんでこんな大事なことをハーフタイムまで気づかなかったんだ〉と僕は苦虫をかむ思いだった。石崎さんがベテランの僕を起用したのは、チ?ムにとって必要なことをサポートするためだったはず。つまり、試合中に起こる変化に気づいて、選手1人ひとりとコミュニケーションをとって、すぐに修正する能力を買われたからだ。

 サッカーの守備で大切なのは、味方のフォワードが相手のどの選手に最初にプレッシャーをかけに行くのかということである。特に、札幌の守備は、ボールにプレッシャーをかけに行って奪いたいので、ボールを持っている相手に味方の誰がプレスに行くのかが重要になる。愛媛戦で言えば、愛媛の左SBがポジションを高くするのかしないのかによって、味方の前線選手のプレスの相手が変わってくる。この試合はまさに、それこそがキーになると考えていた。だから約束事を決めて前線の選手とさんざん打ち合わせしていた。当然、[三上が高いポジションをとる]という前提での話である。

 しかし現実は、三上が高いポジションをとらなかった、というたったそれだけで、札幌の守備の約束事は破綻してしまった。札幌にとって困ったことは、三上が前に上がる場面を前提にした守り方をしてしまったことだ。砂川が三上にプレッシャーをかけたら、左SHの杉浦は、中央で仕事をしようと中に入ってくる。そこで僕は杉浦をマークする。宮澤は、中盤の動きが気になって下がってくる。そして、愛媛のCBには誰もプレスに行けない状況を作ってしまい、結局フリーにさせてしまった。実際に、前半16分の失点は、後方からのなんでもないロングボールが味方のディフェンダーの頭を越えて行き、ボールを追って走っていた齋藤学のドリブルから、ジョジマールに渡ってゴールを決められた。それまでは、ディフェンダー陣も巧みなラインコントロールを保っていたのだが、繰り返されるロングボールに慌てふためいた失点だった。

 この日の僕は、簡単なサッカーの方程式にも気づけないでいた。守備の約束事は単純に見えるかもしれないけれども、そこに「紙一重」の攻防が隠されているのだ。

 試合は、後半11分に追加点を奪われて0-2になり、相手を追いかけるためにチームが戦術的にパワープレーを選択したこともあって、僕は、後半28分にベンチに下げられた。

3.トレーニングルームから聞こえた連呼する金属音

 午前中の練習が終了して、午後に自宅のマンションに帰ろうと地下鉄に乗っていた。電車が停車して目的の駅に着くと、「ただいま地震がありました」と構内放送がある。そして携帯電話の着信音がした。「すごい地震があったんだよ。私たちは大丈夫だから心配しないで。ただ……テレビで……東北が大変なことになってる」と妻の有由の声がする。

 夕方になると、マネージャーから「今週末のJリーグは中止になりました」と連絡が入る。「明日の練習は?」と聞くと「あります」という答えが返ってきた。翌日、練習場に行くと最初に石崎さんから話がある。
「今は、自分たちができることをやるしかない。自分たちができることは、グラウンドでの練習であり、チームや個人のプレーの質を高めていくことだ」
 ある選手は、「こんな事態にサッカーやってていいのかな……でも、今は割り切ってやるしかないよね」と、気持ちを何とか切り替えようと努めていた。

 札幌のチーム練習は9時半から始まる。僕は、プロサッカー選手になってからずっとそうしているように、練習が始まる1時間前にはジムに入ってストレッチをして体を動かす。僕の次に決まってジムにやってくるのは、ゴンさんと河合竜二の2人だった。ベテラン組はさすがに早い出動だ。チーム練習の前に、腹筋や背筋をやって、体のそれぞれの部位にしっかりと力が入るように丹念にストレッチをやっていく。トレーニング的な要素のある動きを取り入れた方がいい、と知ったのはアメリカでプレーしていたときに得たものだ。グアムキャンプのときには、練習前に早めにジムに行く僕の習慣を知らなかったゴンさんは、「もう練習に行くの?」とおどけて話していたが、僕の次にやって来るのは、いつもゴンさんだった。

 もう1人のジムの常連である河合竜二は、札幌への加入が決まった際に、「また一緒にやれるんですね」と、とても喜んでくれた。竜二とは、浦和レッズに加入していたときに、合宿所で同じ釜のメシを食べた仲だ。彼は浦和時代から、グラウンドで戦うファイトに関しては〈見るべきもの〉があった。ただし、自分の体を十分にケアして練習に100パーセント備えるというタイプではなかった。グラウンドで100パーセント頑張るから、それ以外は気にかけないというタイプだった。札幌で久しぶりに再会した竜二は、以前とはまったくの別人になっていた。正直に言って、サッカーに対する取り組み方が全然違っていた。「年齢を重ねていくうちに変っていったんですよ」と笑って竜二は答えていたが、〈自分を変えるために相当の努力をしたんだな〉と彼の物腰を見てすぐにわかった。もちろん、〈怪我が多かった〉などの理由も変化をもたらす一因だったのに違いないが、結局、人は自分が変ろうと心底思わないと変わることできないのだ。

 開幕戦で途中交代してから僕に対する監督の評価は停滞したままだ。今の状況は、サイドバックとして3番手の位置にある。そうした事実を認識させられた出来事があった。

 ある試合の当日、ベンチ入りメンバーの18人は11時から練習があった。ベンチ外のメンバーは彼らが練習場に来る前の9時30分からトレーニングが始まる。その日は、数人が怪我をしていてリハビリを行っていたので、メンバー外の選手は僕1人と高校生で登録されている子が1人しかいなかった。それでは人数が足りないということで、ユースの試合に出られない子11人が参加してきた。グラウンドには、30歳を過ぎたベテランの僕1人と、10代の子12人が集まる。もしこれが、大宮にいた頃の僕ならばすごく屈辱的な光景だと思って、「僕はみじめだな。なにやってるんだ」と自問自答して、自分で自分の気持ちをブレさせてしまっていたかもしれない。でも、サッカーを続けるためにいろいろな苦渋をなめてきた僕の精神は、もうそんなことでは動じなくなっていた。どんな状況や状態でも、〈その日の練習の中で何ができるのか〉をまず考えてみる。どんな面子を前にしても、自分が指示を出して練習が円滑に行われることを最優先する。

 もし、今年ダメだったらもうあとがないと思っている。1日1日が最後の舞台へのカウントダウンを重ねる。僕は、雑念がなくサッカーに取り組めているのか。僕は、私利私欲を抜きにしたところで無欲にサッカーと向き合えているのか。僕は、日々の出来事の事象に対して一喜一憂していないか。僕は、他者に出された何らかの結果に対して自分に甘い評価をしていないか。僕は今、そんな心境になっている。

 練習が終わってシャワーを浴びる準備をするために、誰もいないロッカールームに入った。ユニホームを脱いでいると、トレーニングルームから突然「カーン、カーン、カーン」という音が聞こえてくる。その音は小刻みに一定のリズムを刻んで響いてくる。誰かがベンチプレスを動かしている音だ。僕は、その人が誰なのかすぐにわかった。それは、「手術したこところの筋力が足りないんだよな」と話していたゴンさんだった。コンディションを戻すのに、ものすごい量のトレーニングを黙々と行っている。そんな彼の姿を見て僕は思う。〈ないモチベーションをあるように持っていってくれる〉という存在ではなく、〈あるモチベーションをさらにやる気にさせてくれる〉という存在なのだと。

 黙々とやる姿。誰が見ている訳でもない。自分のためにやっている。「絶対にグラウンドに立って試合に出てやる」という熱い気持ちを秘めながら、目の前にあることに淡々と取り組んでいく。ゴンさんのベンチプレスが奏でる金属音は、僕にとって気持ちを1つひとつ整理させていくための音になった。自分が再び試合のグラウンドに立つために、[時が満ちる]のをじっと待つことを悟らせる音に、聞こえていた。

つづく

「第十六回 奇跡」
「第十五回 チャレンジャー」
「第十四回 誕生」
「第十三回 シンプル」
「第十ニ回 新チーム」
「第十一回 契約更新」
「第十回 荒野」
「第九回 新天地」
「第八回 旅立ち」
「第七回 結婚」
「第六回 同級生」
「第五回 同期」
「第四回 家族」
「第三回 涙」
「第ニ回 ライバル」
「第一回 手紙」

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