広州恒大(中国)
●協力=服部英志、河治良幸
●クラブ基本データ(昨季成績、クラブ創設年、ホームタウンとスタジアム、主な過去タイトル)
<昨シーズン成績>
・中国超級リーグ 優勝
・中国FAカップ ベスト16
・ACL ベスト8
<クラブ創設年>
1954年
<ホームタウン>
広東省広州市
<スタジアム>
天河体育中心(天河スポーツセンター)
<過去獲得主要タイトル>
・国内リーグ優勝4回(2011、2012、2013、2014)
・国内カップ優勝1回(2012)
・中国スーパーカップ優勝1回(2012)
・ACL優勝1回(2013)
●クラブ史(誕生から現在までの略歴)
1954年6月に設立。当初は広州足球隊というチーム名で活動していたが、77年に広州青年隊として再結成され、82年に1部リーグに昇格。84年には製薬メーカーと提携してチーム名を広州白雲山と改称。92年には1部リーグで準優勝を果たした。翌93年からは健康食品メーカーと提携し、広州太陽神と改称。中国プロサッカーリーグが開幕した94年に準優勝を飾るも99年には最下位で2部に降格した。
その後、幾度かのチーム名・スポンサーの変更と昇降格を経て、2008年にチーム初の超級リーグ(03年に新設された1部リーグ)参戦を決めた。しかし、2009年シーズンに八百長が判明し、チームは再度降格。2010年に不動産企業である恒大房産がクラブを買収し、広州恒大と改称。チームは莫大な資金力を得て1年で超級リーグに復帰すると、そこからリーグ4連覇、国内カップ優勝と準優勝を1回ずつ、ACL優勝とタイトルを総なめにし、黄金期を迎えた。昨年には中国最大の通販サイト『淘宝』を運営するIT企業のアリババがおよそ200億円で株式の50%を取得し、チーム名も広州恒大淘宝に変更された。2014年度のIFFHS(国際サッカー歴史統計連盟)の世界クラブランキングで41位、アジアでは1位にノミネートされている。
●現トップチームメンバーリストおよびフォーメーション
<基本スタメン>
<メンバー表>
2 MF リャオ・リーシェン 廖力生
3 DF メイ・ファン 梅方 ★
4 MF チャン・ジャーチー 張佳祺
5 DF チャン・リンポン 張琳芃
6 DF フォン・シャオティン 馮瀟霆 ★
9 FW エウケソン(ブラジル)
10 MF チョン・チー 鄭智(Cap.) ★
11 FW リカルド・グラル(ブラジル)
12 FW ワン・シャンユェン 王上源
13 GK ファン・ジンチー 方鏡淇
14 GK リュウ・ウェイグオ 劉偉国
16 MF ホァン・ボーウェン 黄博文
17 DF リュウ・ジェン 劉健
18 FW ドン・シュエシェン 董学升
19 GK ジェン・チョン 曾誠 ★
20 MF ユ・ハンチャオ 于漢超 ★
21 MF チョウ・シゥリー 趙旭日
22 GK リー・シュアイ 李帥
23 MF ヤン・シン 楊鑫
24 FW リャン・シュエミン 梁学銘
25 DF ゾウ・ジェン 鄒正 ★
26 FW ワン・ジンビン 王靖斌
27 MF チョン・ロン 鄭龍
28 DF キム・ヨングォン 金英権(韓国/元FC東京)☆
29 FW ガオ・リン 郜林 ★
33 DF ロン・ハオ 栄昊
34 MF ワン・ジュンフイ 王軍輝
35 DF リー・シュエペン 李学鵬
48 MF パウリーニョ(ブラジル)
56 FW ロビーニョ(ブラジル)
★はEAFF東アジアカップ2015中国代表メンバー、☆は同韓国代表メンバー。
●監督とキープレーヤー紹介
<監督:ルイス・フェリペ・スコラーリ>
1948年11月9日生まれ。ブラジル出身。1997年は7月までジュビロ磐田で指揮を執り、のちの黄金期となるベースを築き上げた。FIFAワールドカップ2002でブラジル代表を世界一に導き、母国で行われたFIFAワールドカップ2014では再びブラジル代表を率いてベスト4に進出。広州恒大では今年6月のファビオ・カンナバーロ監督解任を受け、同月に監督就任。以降7勝4分と負けなしが続いている。また、就任後にブラジル代表のパウリーニョやロビーニョを獲得するなど、豊富な経験や手腕と同時にブラジルとのパイプ役としても期待されている。
<10番 チョン・チー>
35歳を迎えるベテラン選手。広州恒大と中国代表の中核を担う。2007年1月にイングランドのチャールトンへレンタル移籍で加入。2007-2008シーズンに完全移籍し、2年間プレーした。2009-10シーズンはセルティックに所属した。豊富な運動量を武器に中盤のあらゆるポジションをこなすバランサーで、足下の技術に優れ、組織プレーの意識も高い。チーム事情によってはセンターバックをこなすこともある。
<11番 リカルド・グラル>
今シーズンから加入したブラジル人選手。8月19日時点でリーグ戦20試合に出場して13得点を挙げ、チーム内得点王(リーグ全体では3位)に立つ。ACLでは8試合出場して8得点を記録している。中国移籍当初は強靭なフィジカルを持つエウケソンほどのインパクトがなく、サポーターからの期待は薄かったが、ペナルティエリア内のどこからでもゴールを狙える得点感覚と突破力で、開幕後は公式戦29試合21得点という大車輪の活躍を見せている。パスセンスに秀で、トップ下とフォワードをこなす万能型でもある。100メートルを10秒台で駆けるスピードも大きな武器である。
●チームスタイル&基本戦術
今年6月に就任したルイス・フェリペ・スコラーリ監督は、2年前にACL優勝を果たしたイタリアの名将マルチェロ・リッピ、後任の元イタリア代表DFファビオ・カンナバーロが率いた前体制から主力メンバーの大半を引き継ぎ、[4-2-3-1]をベースに中盤のポゼッションを軸とした、攻守のバランスが取れたブラジル型のスタイルを浸透させようとしている。
就任後には新たな中盤の軸としてブラジル代表MFパウリーニョを獲得し、ワールドクラスの名手であるロビーニョも招き入れた。これにより、すでにエース的な存在だったリカルド・グラルを含めた強力なセンターラインが完成。さらに高い決定力を誇るエウケソンも擁しているが、ACLの外国人枠ルールは『3+1(AFC枠)』のため、ここから1人が登録外となる。登録メンバー入りしたエウケソンが負傷したものの、8月20日に中国メディアがロビーニョとの入れ替えはしないと報じている。
強力なブラジル人選手に注目が集まりがちだが、中国代表クラスがズラリと揃う最終ラインは対人戦に強く、相互の距離感も安定している。守護神のジェン・チョンは190センチの長身を誇り、EAFF東アジアカップ2015でベストDFに選ばれた韓国代表キム・ヨングォンを中心とする最終ラインの背後で守備を統率しながら、身体能力を活かしたセービングで堅守を支える。中盤の底でパウリーニョとコンビを組むチョン・チーは10番を背負うに相応しい技術があり、守備にも奮闘できるチームの心臓だ。彼とパウリーニョがさらに噛み合ってくると、対戦相手にとってさらに脅威が増してくるだろう。
●ACLここまでの勝ち上がり
第1節では2013年のACL優勝時に決勝で対戦し、前回大会でベスト4に入ったFCソウル(韓国)をホームに迎え、リカルド・グラルの加入後初ゴールで1-0と幸先の良いスタートを切る。第2節は前回王者のウェスタン・シドニー・ワンダラーズ(オーストラリア)とのアウェイゲームとなったが、ここもグラルのハットトリックの活躍で3-2と競り勝って連勝。第3節では鹿島アントラーズとホームで対戦し、両チーム合わせて7ゴールという乱戦を4-3で制して3連勝を飾った。
しかし第4節で鹿島とのリターンマッチを1-2で落とすと、続くFCソウル戦はスコアレスドロー。ラウンド16進出は決めたもの、最終節のウェスタン・シドニー戦で0-2と敗れて3連勝後に1分2敗に終わる苦戦の展開となったが、グループが混戦だったことに助けられ、1位でラウンド16へ進んだ。
グループFをガンバ大阪に次いで2位で通過した城南FC(韓国)とのラウンド16。広州はアウェイでのファーストレグを1-1で迎えた後半アディショナルタイムの失点で1-2と落として窮地に陥る。しかし、ホームでのセカンドレグをグラルの2得点で2-0と勝利し、2戦合計3-2で4大会連続の準々決勝進出を決めた。
べスト4では日本の柏レイソルと対戦。アウェーでのファーストレグをパウリーニョが「生涯最高のゴール」と語ったスーパーFKなどをはじめ、3得点を奪って勝利。絶対的優位な状況で迎えた本拠地でのセカンドレグも開始10分少々で先制点を許すも、その後はゲームをコントロールし、前半のうちにホァン・ボーウェンの素晴らしいボレーシュートで同点とすると、そのまま1-1で試合を終えてベスト4進出を果たしている。
●チームの近況
リーグでは第4節に河南建業に1-2で敗れて以来、9月26日の第27節まで23戦負けなしを記録しており、9月はリーグ戦3戦全勝と絶好調。夏に獲得したパウリーニョはすぐにチームにフィット。ロビーニョも徐々に調子を上げており、9月のリーグ戦では3試合で2得点をマークしている。
リーグ戦では1敗しかしていなかったカンナバーロ監督を解任したが、スコラーリ体制に移行後も好調をキープしており、第25節で上海上港との天王山で勝利してリーグ戦首位浮上を果たしている。東アジアカップでは中国代表に7人選出された。
●スタジアム解説
天河スポーツセンターは5万6000人収容の多目的スタジアムである。1987年に完成し、1991年には第一回女子ワールドカップのメインスタジアムとしても使用された。スタジアムの他にも周囲には体育館やプール、テニスコート、野球場があり、広州市のスポーツの中心を担う施設となっている。広州恒大はそれまでホームとしていた越秀山スタジアムがACL規格を満たしていなかったことから、2011年にホームスタジアムを天河スポーツセンターに移転し、以降同会場をメインスタジアムとして使用している。公安当局から安全確保のため、入場者数は収容人数の8割に限定されているが、大半の試合で規定ギリギリの入場者が来場する人気を誇り、昨シーズンの平均入場者数は4万2086人であった。
2011年、2012年に国内最優秀スタジアム賞を受賞。アクセスは地下鉄一号線または三号線の体育西路駅からすぐ。もしくはバスで体育中心東門駅、体育中心駅下車。
アル・アハリ・ドバイ(UAE)
※データはすべて2015年9月20日時点のもの
●協力=河治良幸
●クラブ基本データ(昨季成績、クラブ創設年、ホームタウンとスタジアム、主な過去タイトル)
<昨シーズン成績>
2013-14シーズン優勝
※2014-15シーズンは7位だが秋春制のため13-14シーズンの王者としてACLに参戦している。
<創設>
1970年
<ホームタウン>
ドバイ(UAE)
<スタジアム>
アール・ラーシド・スタジアム
<過去獲得主要タイトル>
国内リーグ優勝:6回(1974-75,1975-76,1979-80,2005-06,2008-09,2013-14)
国内カップ優勝:8回(1974-75,1976-77,1987-88,1995-96,2001-02,2003-04,2007-08,2012-13)
ACL最高成績:ベスト8(2013)
●クラブ史(誕生から現在までの略歴)
“赤い騎士団(The Red Knights)”の愛称を持つアル・アハリは1970年にUAEの首長国であるドバイの地元クラブが統合する形で創設され、4年後にもう1つのクラブを吸収して現在の形に至った。アル・アハリとは“国家”を意味するが、サウジアラビアやエジプト、カタールにも同名の強豪クラブが存在するため、“アル・アハリ・ドバイ”という通称で区別されることが多い。
1973年から開幕したアラビアン・ガルフ・リーグの2シーズン目にリーグ戦とUAEプレジデンツ・カップの二冠を獲得すると、翌年にはリーグ連覇を達成。さらに1979-80シーズンにもリーグ戦を制するなど、UAEで1、2を争う強豪となった。その後、80年代から長らく低迷し、1995-96シーズンには2部リーグに降格したが、2005-06シーズンに26シーズンぶりのリーグ制覇を果たし、復権。
そして2008-09シーズンにプロリーグが整備されると、2年目の2008-09シーズンに頂点に立ち、地元UAEで開催された2009年のFIFAクラブワールドカップに国内リーグ王者として参加。ただし、この大会は1回戦でニュージーランドのオークランド・シティに0-2で完敗し、世界への挑戦は1試合で幕を下ろすことになってしまった。なお、当時のメンバーにはFWバレー(現・ヴァンフォーレ甲府)がプレーしていた。
2010年には元イタリア代表DFファビオ・カンナヴァーロが在籍したことでも話題を集め、2011年に加入した元ブラジル代表FWグラフィッチの活躍が2013-14シーズンのリーグ優勝を牽引したが、基本的には欧州ベースの指導とUAE代表クラスの選手の成長が継続的な成長の支えになっている。
●現トップチームメンバーリストおよびフォーメーション
<基本スタメン>
4-4-2(4-2-3-1)
<メンバー表>
1 GK アーメド・アル・ブライク AHMED AL BRAIK
2 DF サルミン・ハミス SALMIN KHAMIS
4 MF ハビブ・アル・ファルダン HABIB AL FARDAN
5 DF ワリド・アッバス WALID ABBAS
6 MF ハッサン・アブドゥルラフマン HASSAN ABDULRAHMAN
7 MF イスマイル・アル・ハマディ ISMAIL AL HAMMADI
8 MF エヴェルトン・リベイロ EVERTON RIBEIRO
9 FW ロドリゴ・リマ RODRIGO LIMA
11 FW アーメド・カリル AHMED KHALIL
12 GK アーメド・マハムード・アシューリ AHMED MAHMOUD ASHOORI
14 MF ウサマ・アサイディ OSSAMA ASSAIDI
19 MF アリ・グルーム ALI GHULOUM
20 FW サイード・アル・ブルーシ SAEED AL BLOUSHI
21 MF クォン・ギョンウォン KWON KYUNG-WON
23 MF アディル・サレム ADIL SALEM
26 DF アブドゥルアズィーズ・ハイカル ABDULAZIZ HAIKAL
28 DF エイサ・アーメド EISA AHMED
33 GK サイフ・ユーシフ SAIF YOUSIF
37 MF フマイド・アブドゥラ HUMAID ABDULLA
55 GK マジド・ナセル MAJED NASER
57 DF モハメド・セビル MOHAMED SEBIL
62 DF アブドゥルアズィーズ・サンクール ABDELAZIZ SANQOUR
70 MF ワリド・フセイン WALED HUSAIN
71 MF ナワフ・ムバラク NAWAF MUBARAk
77 DF ユーセフ・アル・サイド YOUSEF AL SAYED
79 FW モハメド・アル・フーリ MOHAMMED AL KHOORI
80 MF フマイド・アッバス HUMAID ABBAS
88 MF マジド・ハッサン MAJED HASSAN
92 FW サイード・ヤッシム SAEED JASSIM
97 MF アーメド・ムサ AHMED MOOSA
●監督とキープレーヤー紹介
<監督:コスミン・オラロイ>
46歳のルーマニア人監督は選手も見上げるほどの体格と威風堂々とした佇まいで存在感を放っている。DFとしてプレーした現役時代の晩年には水原三星やジェフ市原(現・ジェフ千葉)に在籍し、監督としては母国の名門ステアウア・ブカレストなどで指導したあと、アル・ヒラル(サウジアラビア)、アル・サッド(カタール)、アル・アイン(UAE)といった中東の名門を率いて名声を高め、2013-14シーズンから指揮するアル・アハリ・ドバイではいきなりリーグ制覇を達成。今年1月には大会限定の契約でAFCアジアカップ2015に臨むサウジアラビア代表を率いたが、奮闘むなしくグループリーグ敗退を喫した。守備は組織を重んじるが、攻撃は前線のタレント力を発揮させるタイプで、エヴェルトン・リベイロなど主力選手の信頼も厚い。
<エヴェルトン・リベイロ>
ブラジルの元代表選手が晩年に中東でプレーすることは過去にも多かったが、現役バリバリのセレソン戦士が中東クラブを選んだことは、広州恒大に移籍した元同僚のリカルド・グラルとともに世界的な驚きを与えた。高いボールスキルを誇り、相手DFに囲まれた状況でも抜群のキープ力で局面を打開する。視野が広く、逆サイドからゴール前に侵入する味方などを見逃さない点もワールドクラスだ。あらゆる場面でチャンスの起点となる司令塔の従来の基本ポジションは右サイドハーフ。
<ロドリゴ・リマ>
天性のストライカーという表現がぴったりの点取り屋であり、ドリブルからのミドルシュートや飛び出しなど、多くの得点パターンを持つ。代表経験こそないが、ポルトガルリーグでは2011-12シーズンにブラガで20ゴールをマークして得点王に輝くと、名門ベンフィカに移籍した2012-13シーズンにも再び20得点を記録。2013-14シーズンはリーグ戦こそ14ゴールにとどまったが、UEFAヨーロッパリーグ準決勝でユヴェントス相手に決勝ゴールを奪うなど、同大会準優勝の立役者となった。国内リーグでは19得点を決めて連覇に貢献し、多くのビッグクラブが獲得に興味を示す中、UAEのアル・アハリへの移籍が決定。AFCチャンピオンズリーグでのお披露目となったナフト・テヘランとの準々決勝2試合で連続ゴールを挙げ、早くも実力のほどを見せつけている。
<イスマイル・アル・ハマディ>
驚異的な突破力を誇るサイドアタッカーで、ナフト・テヘランとのAFCチャンピオンズリーグ準々決勝セカンドレグでも、彼の仕掛けと絶妙なスルーパスからFWカリルがPKを獲得する形で決勝ゴールが生まれた。右利きながら左サイドを主戦場とする、いわゆる“逆足ウイング”ではあるが、左足からも低く速いクロスで決定的なシーンを演出する。対戦相手は右サイドのエヴェルトン・リベイロを警戒する傾向にあるだけに、左サイドの隠れた勝負のキーマンと言うべき存在だ。
●チームスタイル&基本戦術
ボランチとDFラインがしっかりブロックを作りながら、局面で厳しいマンツーマンディフェンスを実行。ボール保持者に対してはチャレンジ&カバーを明確にして行く手を阻む。4バックをベースとするが、相手FWとの関係によって3バック気味の布陣も採用。ボールを奪ったらシンプルな展開からサイドを起点に攻撃陣が仕掛ける。攻守の切り替えが抜群に速いわけではないが、外でも中でも勝負できる両サイドハーフと、縦への推進力が高い2トップの4人によるフィニッシュワークはアジアレベルを超える破壊力を持つ。右サイドのブラジル代表MFエヴェルトン・リベイロを起点に、ロドリゴ・リマとUAE代表FWカリルの2トップ、さらに逆サイドからアル・ハマディがゴール前に飛び込んでいく形が攻撃パターンの6~7割を占めるが、相手の警戒がそこに向くほど、左のアル・ハマディが見せる仕掛けが効果を発揮する。
ボランチの2人は攻守のバランスを取るタイプだが、UAE代表MFマジド・ハッサンの飛び出しからのミドルシュートは強力な飛び道具だ。ロドリゴ・リマやカリルの直接FK、エヴェルトン・リベイロのCKに高さのあるセンターバックが合わせる形など、セットプレーの得点力もトーナメントでの大きな強みとなる。またジョーカーのフマイド・アブドゥラは鋭いドリブルが武器で、終盤は必ずと言っていいほど相手の脅威になる。
●ACLここまでの勝ち上がり
UAE王者としてグループリーグから参加。アル・アハリ・ジッダ(サウジアラビア)、ナサフ・カルシ(ウズベキスタン)、トラークトゥール・サーズィー(イラン)と同じグループDに組み込まれた。2月25日に行われたアル・アハリ・ジッダとの初戦でいきなり3-3という乱戦を演じると、敵地でトラークトゥール・サーズィーに0-1と敗れる厳しいスタートに。さらにホームでナサフ・カルシと0-0で引き分けた。
ウズベキスタンの地に乗り込んだ第4節はエヴェルトン・リベイロの値千金のゴールで、ナサフ・カルシを相手に今大会の初勝利を挙げたが、アウェイ連戦となったアル・アハリ・ジッダとの第5節で主審に警告選手を間違われるアクシデントが発生し、マジド・ハッサンが退場。そこから逆転される不運に見舞われてグループステージ敗退の危機に陥った。しかし、トラークトゥール・サーズィーをホームに迎えた最終節は2-2の同点から終了間際にカリルが決勝ゴールを決めると、同勝ち点のナサフ・カルシを総得点で上回って、2位で突破した。
ラウンド16は同国のライバルであるアル・アインと激突。ホームのファーストレグは0-0の引き分けに終わり、敵地でのセカンドレグで3-3と引き分けながらアウェイゴールの差で勝ち上がると、準々決勝ではナフト・テヘラン(イラン)に連勝して2戦合計3-1で準決勝に進出。サウジアラビアのアル・ヒラルと西地区の王者を懸けて対戦する。
●チームの近況
今年5月まで行われていた2014-15シーズンのリーグ戦は7位に終わり、新シーズンは挑戦者として再スタートを切ることとなった。ブラジル人FWロドリゴ・リマを新戦力に加えて臨んだ8月20日の開幕戦でアル・フジャイラに8-1の大勝。アル・ハマディがハットトリックを決め、リマも2ゴールを記録するなど、幸先の良いスタートを切った。国内リーグ開幕から間もなくACLの準々決勝を迎える難しいスケジュールだったが、26日に行われたイランでのナフト・テヘラン戦を1-0で勝利し、理想的な形でセカンドレグにつなげた。
8月29日にはセネガル代表FWムサ・ソウをフェネルバフチェ(トルコ)から推定移籍金1600万ユーロ(約22億円)で獲得。フランスのリールでも活躍した屈強なストライカーは9月8日に行われたリーグカップのアル・シャバブ戦でデビューを果たし、国内リーグでもすでにピッチに、ACLは選手登録が間に合わず出場することができない。だが、エースのリマはア9月22日ル・ジャフラ戦で先制ゴールを決め、相棒のカリルはアル・アハマディの決勝ゴールをお膳立てするなど、攻撃陣が好調をキープした状態でアル・ヒラルとのAFCチャンピオンズリーグ準決勝を迎えている。
●スタジアム解説
1948年に開場し、当時のUAE首長だったラーシド・ビン=サイード・アール=マクトゥームにちなんでアール・ラーシド・スタジアムと付けられたが、地元ではアル・アハリ・スタジアムの名が一般的。収容は1万2000人で、観客席の外側に隣接のショッピングセンターが見えるほどこじんまりしているが、メトロのアル・アハリ・クラブ駅から徒歩1分のところにあり、ドバイの住民にとって馴染みの深いスタジアムだ。ピッチの外周を低いフェンスが囲んではいるがスタンドには傾斜があり、上階は観やすくなっている。アル・アハリのホームスタジアムとしてはもちろん多目的なイベントにも使用される。
2003年にはFIFAワールドユース(現U-20ワールドカップ)の会場の一つとなり、川島永嗣や今野泰幸を擁した若き日本代表が準々決勝でブラジルに1-5で大敗した地でもある。なお当時のブラジルにはダニエウ・アウヴェス(バルセロナ)やフェルナンジーニョ(マンチェスター・C)がいた。近年では2013年にはU-17ワールドカップの会場となり、ブラジルの新星ナタン(フィテッセ)、同大会でゴールデンボールを受賞し、プレミアリーグで衝撃的なゴールを決めたナイジェリアのケレチ・イヘアナチョ(マンチェスター・C)もプレーしていた。
●エピソード
育成にも力を入れるアル・アハリは下部組織をU-8からU-19まで10カテゴリーに分けて構成し、多くの選手をトップチームに送り出している。主力として活躍するFWアーメド・カリルは8歳から在籍するクラブの象徴的な存在だ。
またサッカーの他にもバスケットボール、バレーボール、ハンドボールのチームを持ち、代表チームにも多くの選手を送り出している。さらに個人競技の活動支援も行うなど、まさにドバイのスポーツ競技における中心的な役割を果たしているクラブだ。ドバイにはアル・アハリの他にアル・シャバブ、アル・ナスル、アル・ワスルが1部リーグに所属していることから、1シーズンで6度のダービーマッチが開催されて盛り上がりを見せるが、さらに金満オーナーによる有力選手獲得レースも熱を帯びている。
世界的な観光都市として知られるドバイは世界的な競馬の祭典であるドバイ・ワールドカップがあまりに有名だが、サッカー関係の大会も積極的に誘致しており、最近ではビーチサッカーのインターコンチネンタル・カップや、世界で50万人以上が参加するアマチュア5人制サッカー(F5WC)の決勝大会が行われるなど、スポーツ都市としても注目が集まってきている。
アル・ヒラル(サウジアラビア)
※データはすべて2015年9月20日時点のもの
●協力=河治良幸
●クラブ基本データ(昨季成績、クラブ創設年、ホームタウンとスタジアム、主な過去タイトル)
<昨シーズン成績>
サウジ・プレミアリーグ2013-14シーズン 2位
※2014-15シーズンは3位だが、秋春制のため2013-14シーズンの2位としてACLに参戦している。
<創設>
1957年
<ホームタウン>
リヤド(サウジアラビア)
<スタジアム>
キング・ファハド国際スタジアム
<過去獲得主要タイトル>
サウジ・プレミアリーグ:13回(1976-77、1978-79、1984-85、1985-86、1987-88、1989-90、1995-96、1997-98、2001-0、2004-05、2007-08、2009-10、2010-11)
サウジ・クラウンプリンスカップ:12回(1963-64、1994-95、1999-00、2002-03、2004-05、2005-06、2007-08、2008-09、2009-10、2010-11、2011-12、2012-13)
サウジ・フェデレーションカップ:8回(1986-87、1989-90、1992-93、1995-96、1999-00、2004-05、2005-06、2014-15)
アジアクラブ選手権:2回(1992、2000)(ACLへと大会変更後は2014年の準優勝が最高成績)
●クラブ史(誕生から現在までの略歴)
“ザ・ボス”の愛称で呼ばれるアル・ヒラルは青と白をクラブカラーとするサウジアラビアきっての名門。1957年10月にアブドゥル・ラーマン・ビン・サイードによって創設された当時は“オリンピック・クラブ”という名称だったが、翌年にはアル・ヒラルに改名された。
初の公式タイトルは1961年で、プレミアリーグの上位6クラブと2つのカップ王者によって争われたキングス・カップ。その後、1976-77シーズンに始まったサウジ・プレミアリーグの初代王者となり、アル・アハリ・ジェッダ、アル・ナスル、アル・イティハドなどと激しい優勝争いを繰り広げた。現在はナワフ・ビン・サイード王子が会長を務め、王族の庇護を受ける名門は国内リーグで歴代最多となる13回の優勝回数を誇り、2位も最多の12回を記録。ここ10シーズンを見ても優勝3回、2位が5回、3位が2回と安定した成績を残している。
AFCチャンピオンズリーグの前身となるアジアクラブ選手権も2度制しており、フットボールの歴史と統計の国際連盟(IFFHHS)は「アジアで20世紀最高のクラブ」と評価した。2014年にはAFCチャンピオンズリーグで決勝進出し、3度目のアジア制覇まであと一歩に迫ったが、オーストラリアのウェスタン・シドニー・ワンダラーズに2戦合計0-1で惜敗し、王座を逃した。
●現トップチームメンバーリストおよびフォーメーション
<基本スタメン>
3-4-1-2
<メンバー表>
1 GK カリド・シャラヒリ KHALID SHARAHILI
3 MF カルロス・エドゥアルド CARLOS EDUARDO
4 DF アブドゥラ・アル・ズーリー ABDULLA AL ZORI
6 MF モハメド・アル・カルニー MOHAMMED AL QARNI
10 MF モハメド・アル・シャルフーブ MOHAMMED AL SHALHOUB
11 MF アブドルアズィーズ・アル・ドーサリ ABDULAZIZ AL DAWSARI
12 DF ヤシル・アル・シャハラーニー YASIR AL SHAHRANI
13 MF サルマン・アル・ファラジ SALMAN AL FARAJ
14 MF サウド・カリリ SAUD KARIRI
15 FW ナセル・アル・シャムラニ NASSIR AL SHAMRANI
16 FW ユーセフ・アル・サーレム YOUSEF AL SALEM
17 DF アブドゥラー・アル・ハーフィズ ABDULLAH AL HAFITH
18 MF アブドゥラー・オタイフ ABDULLAH OTAYF
19 FW ハリド・アル・カービ KHALID AL KAABI
20 FW ヤセル・アル・カフタニ YASSER AL QAHTANI
22 GK ファハド・アル・トゥナヤン FAHAD AL THUNAYYAN
23 DF カク・テヒ KWAK TAE-HWI
24 MF ナワフ・アル・アビド NAWAF AL ABID
25 MF ファイセル・ダルウィシュ FAISAL DARWISH
26 DF ジゴン DIGAO
27 MF アブドゥルカリム・アル・カフタニ ABDULKARIM AL QAHTANI
28 GK アブドゥラー・アル・スデイリー ABDULLAH AL SDAIRY
29 MF サレム・アル・ドサリ SALEM AL DAWSARI
30 GK アーメド・ワキド AHMED WAKID
31 DF イブラヒム・アル・ブライク IBRAHIM AL BURAYK
35 DF アーメド・シャラヒリ AHMED SHARAHILI
49 DF アブドゥラー・アル・シャーメフ ABDULLAH AL SHAMEKH
58 DF アブドゥルマジード・アル・スワート ABDULMAJEED AL SUWAT
70 DF モハメド・ジャファリ MOHAMMED JAHFALI
99 FW アイウトン AILTON
●監督とキープレーヤー紹介
<監督:ギオルゴス・ドニス>
パナシナイコスやイングランドのブラックバーンで活躍した実績を持つ元ギリシャ代表MF。現役引退後は、AEKアテネやPAOKといった母国の名門を指導したのち、2013年からキプロスのアポエルを率いてUEFAチャンピオンズリーグ本大会に2大会連続で出場した。
2014-15シーズンはUCLでグループリーグ4位に終わり、キプロス国内リーグでもホームで下位のクラブに引き分けたことで2015年1月に契約を解除。同年3月からアル・ヒラルの監督に就任すると、ACLでの躍進やキングス・カップとサウジ・スーパーカップ制覇などで評価を高めている。人間味あるコメントを発し、選手のモチベーションを高めることを得意する指揮官で、特定のシステムにはこだわらず、3バックと4バックを操る自在な戦術家の顔も持つ。
<カルロス・エドゥアルド>
無名のまま母国ブラジルからポルトガルへ渡り、名門ポルトのBチームからトップに引き上げられたストライカー。昨シーズンは期限付き移籍先のニース(フランス)で主力として活躍し、ギャンガン戦で5得点を挙げるなど、リーグ戦で10得点を記録。欧州でのさらなる飛躍も期待された中、1000万ユーロ(約13億5000万円)でアル・ヒラルに引き抜かれた。変幻自在のドリブルでディフェンスを翻弄し、チャンスがあれば果敢にミドルシュートを狙う。周囲とのコンビネーションを使った崩しも得意で、アイウトンとのホットラインは対戦相手の脅威になる。
<カク・テヒ>
クレバーなライン統率と端正な顔立ちからは想像できない闘志剥き出しのコンタクトプレーで自陣のゴール前に防波堤を築くセンターバック。とりわけ空中戦には滅法強く、持ち前の正確なヘッドでセットプレーから得点も生むことも。2010年にはJリーグの京都サンガF.C.でもプレー。その後、蔚山現代(韓国)を経て2013年にサウジアラビアの名門アル・シャバブへ移籍し、2014年1月からアル・ヒラルでプレーする。今年7月で34歳になったが肉体的に目立った衰えはなく、むしろセンターバックとして成熟の域にあるようにすら思われる。ウリ・シュティーリケ監督の下で世代交代が進む韓国代表でもメンバーに選ばれ続けているのはその証拠だ。
<カリリ>
酸いも甘いも噛み分けたベテランボランチで、サウジアラビア代表で刻んだキャップ数は128。2006年のFIFAワールドカップ ドイツにも出場した。運動量と機動力に長けるタイプではないが、その不足を補って余りある状況判断と184センチの長身を生かしたタックルで中盤を引き締め、正確なサイドチェンジとロングスルーパスで攻撃にバリエーションをもたらす。キャプテンとしてもチームをまとめる存在であり、AFCチャンピオンズリーグ制覇のために欠くことができない選手でもある。かつて所属したアル・イティハドで2009年、さらに昨年と2度の準優勝を経験しており、アジア王者への思いは人一倍強いはずだ。
●チームスタイル&基本戦術
3-4-1-2のシステムをベースとした幅広く丁寧なビルドアップからボランチのカリリが長短のボールを散らし、左右のウイングバックとトップ下のカルロス・エドゥアルドが高い位置で起点となって、2トップの決定力を生かしていく。アタッキングサードでは個人技が主体となるが、カルロス・エドゥアルドの変化に富んだ仕掛けやアイウトンの迫力ある突破が相手の警戒を引きつけることで周囲の味方にスペースを与え、フリーでのフィニッシュにつながることも一つの攻撃パターンとなっている。
守備は経験豊富なカリリとセンターバック出身であるジャファリのボランチコンビを軸にプレッシャーをかけ、ロングボールや強引なクロスには高さのある3バックが力強く対応する。ブラジル人DFのジゴンは身体能力が高く、左利きのアル・ズーリーはサイドバックをこなせるほど機動力が高いプレーヤー。彼らを韓国代表DFカク・テヒがまとめる3バックはアジアに誇るべきセクション。3人とも空中戦に強く、セットプレーからの攻撃でも大きな武器となる。
ベンチに控えるMFアル・シャルフーブは2002年と2006年のFIFAワールドカップでサウジアラビア代表の主軸を担った経験豊富な司令塔。出場時間は限られるが、終盤に起用されて決定的な仕事をやってのける崩しの切り札だ。状況によってはカルロス・エドゥアルドとの併用もドニス監督にとってのオプションとなる。
●ACLここまでの勝ち上がり
サウジ・プレミアリーグ2013-14の2位クラブとしてグループステージから出場。最初の2試合はルーマニア人のマキシム・チプリアン・ペノーが指揮し、ホームでの初戦はロコモティフ・タシケント(ウズベキスタン)に勝利したものの、アウェイで行われた第2節でカタールのアル・サッドに0-1と敗れた。ドニス新監督にとってのACL初戦となった第3節は敵地イランでフーラードとスコアレスドローに終わったが、3バックを採用した第4節からホームのフーラード戦、アウェイのロコモティフ戦、ホームのアル・サッド戦と3連勝を飾り、グループステージ首位通過を決めた。
イランの強豪ペルセポリスと激突したラウンド16はファーストレグで0-1と敗れたが、セカンドレグで3-0と逆転してトータルスコア3-1で勝ち上がりを決めた。サウジ・プレミアリーグのオフにカルロス・エドゥアルドとアイウトンを補強して臨んだレフウィヤ(カタール)との準々決勝は、アイウトンが先制ゴール、カルロス・エドゥアルドが2得点と新戦力の両選手が高い攻撃センスと決定力を発揮。ホームでのファーストレグを4-1と勝利して勝ち上がりに大きく前進すると、アウェイのセカンドレグを2-2でしのぎ、合計スコア6-3で準決勝進出を決めた。この試合でもカルロス・エドゥアルドは先制点を決めており、早くもエース級の存在感を放っている。
●チームの近況
今年の5月15日に閉幕したサウジ・プレミアリーグ2014-15は3位に終わったが、途中就任だったドニス監督にとって真価が問われるのは新シーズンとACLでの戦いだ。7月に攻撃的MFのカルロス・エドゥアルドとFWアイウトンという2人のブラジル人アタッカーを獲得し、トルコのクラブとの強化試合やオーストラリア合宿、イタリアのウディネーゼにアウェイで胸を借りるなど精力的な準備を進めたアル・ヒラルは、8月13日にロンドンのロフタス・ロードで行われたアル・ナセルとのサウジ・スーパーカップを1-0で勝利。ドニス監督はチームとして規律が備わり、若手や新戦力の組み込みが順調に行っている成果が出たことを強調した。
そして8月20日のサウジ・プレミアリーグ開幕戦でアル・ワハダを2-0と下すと、レフウィヤとのACL準々決勝ファーストレグで4-1と大勝し、さらに8月30日のプレミアリーグ第2節でアル・ファテハに2-1で勝利。3バックを基調としながら3-1-4-2やアイウトンの1トップも採用しており、時間帯によっては5バック気味のブロックを敷くこともある。対戦相手や試合展開に応じた引き出しを増やしながら結果を出しており、良い流れでACL準決勝、さらには決勝を戦うための体勢を整えている。
●スタジアム解説
1982年に竣工し、4年半の歳月をかけて建設された大型スタジアムで、6万7000人の収容を誇る。アル・ヒラルの他にアル・シャバブ、アル・ナスルがホームスタジアムとして使用しており、全国的な人気を誇るアル・ヒラルとアル・ナスルのダービーはシーズンの中でも最も注目を集める試合の一つ。またサウジアラビア代表のホームゲームにも使用されており、まさしくサウジアラビア・サッカーの“聖地”だ。
国際大会では1980年のガルフ・カップ、1989年のFIFAワールドユース選手権(現・U-20ワールドカップ)などでメイン会場となり、多くの名勝負が繰り広げられた。ただ、陸上大会の国際基準を満たす設計となっており、陸上トラックに加えてメインスタンド前にしっかりと幅跳びレーンが備わっていることから、観客席からピッチまでの距離はかなり遠い。最も観やすいのはバックスタンド2階席の上段だろう。スタンド全体をすっぽり覆う世界最大級の屋根は地域の気候がら、雨よりも日よけと砂よけの効果が高い。
夏期は日中開催が選手にも観客にも厳しく、生活時間も遅くなるため、夜間の試合がほとんどになる。2013年の9月18日にはACL準々決勝でアル・シャバブと柏レイソルがセカンドレグを行って2-2で引き分け。ホームで1-1と引き分けていた柏レイソルはアウェイゴールの差で準決勝に勝ち進んだ。ただ、選手たちは喉の変調など、プレー環境の厳しさを口にしている。
●エピソード
西アジアきっての名門であるアル・ヒラルで強く思い出されるのは、1999-2000シーズンに行われたアジアクラブ選手権の決勝だ。当時の大会は準々決勝と準決勝から先がそれぞれ集中開催となっており、準決勝2試合と3位決定戦、決勝はアル・ヒラルのホームであるキング・ファハド国際スタジアムで行われた。
相手は前回王者だったJリーグのジュビロ磐田。準決勝でイランのペルセポリスと対戦した磐田は高原直泰と中山雅史のゴールで2-0と勝利し、2日後の決勝に駒を進めた。中1日の厳しいスケジュールで死闘の様相を呈したと試合は、開始3分にリカルドの直接FKでアル・ヒラルが先制。磐田は藤田俊哉のパスから中山が決めると、川口能活のロングキックを中山が競り、こぼれ球を高原が押し込んで逆転に成功した。しかし、勝利目前となった終了間際に中盤のミスから再びリカルドが同点ゴールを叩き込むと、延長前半12分にサイドからのボールに合わせる形でリカルドがハットトリックを達成。これが当時ルールとして採用されていたゴールデンゴールとなり、アル・ヒラルが磐田の連覇の夢を打ち砕き、1991年から2度目のアジア制覇を果たした。