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オシムの言葉で振り返るユーロ92“幻の欧州王者”ユーゴスラビア代表の真相

2012.05.28

 東欧革命の最中、過酷な運命に翻弄されながらも、イビチャ・オシム監督のもと一丸となって戦ったユーゴスラビア代表。1991年にはEURO92予選を1位で通過し本大会出場を決めた。圧倒的な強さを誇った彼らは優勝候補筆頭といわれたが、1992年、国連の制裁決議を受けて本大会に出場することはできなかった。国家崩壊という現実の中、民族紛争と国際政治によって引き裂かれたオシム・チルドレンたち。“幻の欧州王者”ユーゴスラビア代表の真相に迫った「ノンフィクションW 幻の欧州サッカー王者 '92ユーゴスラビア代表の崩壊」が、6月1日(金)22時からWOWOWプライムで放送される。放送に先駆けて、元ユーゴスラビア代表の監督オシムが当時を振り返った。
ユーゴスラビア

記事提供=WOWOW 写真=AFLO

オシム

日本のサッカーを今でも追っていますか。日本で何が起きているか知っていますか。

常に日本のサッカーは追っています。日本の選手の技術は向上しているし、結果も出ています。ただ、彼らの中には大きく変わってしまった選手もいます。以前は良かったのに今はダメになったり。もちろん、成長した選手もいます。あまり歓迎できないのは、日本でも選手や監督の交代が頻繁に行われるようになったことです。ヨーロッパの真似をしているんですよ。ヨーロッパで起きていることが全て良いとは限りません。監督を度々変えることは、選手やスタッフ、サポーターに不安を与えるばかりです。

あなたが率いたユーゴスラビア代表には黄金世代と言われた世代の選手が多くいましたが、彼らと出会った時の印象や評価はどのようなものでしたか。

チームには民族主義に偏っていた選手などいなく、みんなが普通の人間でした。私は彼らに対する偏見など全くありませんでした。ただ、当時は自分がクロアチア人だとか、セルビア人だとか、ムスリム人だとか、なかなか大きな声を出して言えるような時代ではありませんでした。ただ、記者たちからは、あの国を捨ててこちらを選んだとか、そういう感じで裏切り者扱いされた選手もいました。私に関しては、選手たちが何に対しても実に勇敢で、規律正しくて、誠実だったので、一緒に仕事ができて本当に満足しています。素晴らしいチームでした。当時の代表選手たちのほとんどがユース世代からずっと一緒にプレーしたこともあって、A代表に昇格してきた時には既にチームとして成熟していました。イタリアW杯を通してひと回りもふた回りも成長した彼らはヨーロッパチャンピオンになれる可能性を秘めていましたし、もしかしたらそれ以上の結果が後に待っていたかもしれません。戦争が起きてしまったことが非常に残念でなりません。

ユーゴスラビア代表に関してはどうでしたか。

今のバルセロナのようなプレーを目指していましたし、それを実践できるだけの選手がそろっていました。ただ、当時では考えられないことですが、守備を知らない選手が6人ほど同じチームでプレーしていたのです。今日のサッカーでは、選手は攻撃と守備の両方ができなければいけません。彼らはスター選手でした。彼らのうち1人でもプレーしないと記者たちから口うるさく言われました。それならと言うことで、彼らを一緒にプレーさせて何ができるか試すことにしました。同時に、自分で確信したい部分もありました。イタリアW杯のドイツ戦でそれを試して、結果は1-4で敗戦しました。私は選手たちに責任があるとは言いません。単にピッチ上に不均衡が生じていただけです。ドイツには走れる選手がいる一方で、私たちにはいわゆる“華麗”な選手がいました。華麗な選手だけでは走れる相手にとてもじゃないですが対抗できませんでした。単純にチームのバランスが保たれていませんでした。例えば、レアル・マドリードがバルセロナと対戦する場面を思い浮かべてください。レアルには、カカー、ロナウド、エジルのほかに、あと2、3人ほど守備を知らない選手がいるでしょう。一方のバルセロナには攻撃も守備もできる選手がいる。不均衡が生じるのはレアルです。それは数学の世界です。ちょっと考えればすぐに分かることです。

旧ユーゴスラビアの各国から集まった選手たちをチームに配置することは難しかったですか。

私は全く問題なかったですよ。私はそういうタイプの監督ではありませんでした。彼らがどこの出身であるかは全く興味がなく、ただ、ベストな選手を呼ぶだけでした。名前の違いで呼ぶことは一切ありませんでした。むしろ、名前や血液の違いで選ばなかったことを問題視してくる人間がいました。私にとって、選手たちがマケドニア人なのか、ボスニア人なのか、アルバニア人なのか、全く意味がありません。

イタリアワールドカップの後、欧州選手権予選が始まり、また大きな結果を成し遂げるためのチャンスが訪れました。その時もバルセロナのようなサッカーを目指していたのですか。

私たちは予選で素晴らしい試合を見せて、スウェーデンまで辿り着いたのですが、出場停止処分を受けました。私たちの代わりに出場したデンマークが優勝しました。とはいえ、ユーゴスラビアが優勝していたと、そんな素振りを見せるつもりはありません。スウェーデンでプレーするはずだった選手は、自分の国の代表選手としてチームに残りプレーを続けました。予選で戦ったチームはとても強く、もう一歩先に進むことができました。もっと成長して、もっと経験を積んでいたら、あの代表はすごいチームになっていたと思います。今でも確信できるのは、ユーゴスラビア代表が消滅することなく、バルセロナのような技術的にも素晴らしくて流れるようなサッカーができていたのなら、非常に危険なチームになっていたということです。なぜなら、彼らは才能の塊で、非常に優秀だったからです。

欧州選手権予選と並行する形で、内戦もひどくなくなっていきました。その状況をどのようにご覧になっていましたか。

起きている状況を見ていることは非常につらく、生活も大変つらかったです。当時のチームは、人々の記憶の中に「戦争が起きなかったら何か達成できたのに」という一種の慰めとして、残りました。当時のユーゴスラビア代表は私たちが生きてきた多民族国家の象徴のような存在でした。世界を見渡しても私たちのような歴史を辿った国は稀です。チームには様々な境遇に置かれた選手が存在しながらも、皆が一緒になって生活していました。彼らのカリスマ性は今でも失われていません。

ノンフィクションW 幻の欧州サッカー王者 '92ユーゴスラビア代表の崩壊
放送日:6月1日(金)夜 10:00 [WOWOWプライム]

当時EURO92への出場を決め、欧州最強と目されたサッカー・ユーゴスラビア代表に何が起こったのか? 民族紛争によって翻弄された「幻の欧州王者」の真実を解き明かす。

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