取材協力=ナイキジャパン
Jリーグ屈指の点取り屋・大久保嘉人のトレーニングとは?
33歳を迎えてもなお、大久保嘉人はストライカーとして進化し続ける。
大久保が川崎フロンターレに移籍したのは2013年。移籍1年目で自己最多の26得点を記録し得点王に輝くと、昨季も18得点を挙げて2年連続の得点王を獲得した。そして今年は史上4人目となるJ1通算150得点を記録。前人未到の3年連続得点王に向けてゴールを量産している。
年齢による衰えを感じさせないプレーの裏側で、一体どれだけのトレーニングを積んでいるのだろう? 返ってきた答えは、「激しい筋トレはあまりしない」という意外なものだった。「高校時代の練習で体力はついたし、精神的にも強くなったから」。国見高校時代、徹底的に鍛え上げた肉体があるからこそ、今がある。「あの練習がなかったら、どうなっていたんだろう」。そう彼は言う。
長崎県立国見高等学校は高校サッカー界屈指の練習量を誇る名門校だ。「あの頃はハードでしたよ」と大久保は当時を振り返る。「9月から11月は走り込み期間で、『たぬき山』という12キロを走るメニューが一番楽でした。監督に『今日はたぬき山』と言われた時には『よっしゃー!』って感じ(笑)」。
「もう一回やれって言われたら嫌」というほどの厳しい練習は、大久保にとって財産になった。国見高校には、プロ入りを目指して県外からも多くのサッカー少年が集まる。ライバルに差をつけるために、「こいつがやってるなら妥協しない。いくらきつくても自分が強くなる」と必死に食らいついたその先に、プロへの道が開かれた。
「今では良かったと思います。体力的にもきつかったけれど、精神面が鍛えられた。あれがなかったらすぐに妥協する選手になっていたかもしれない。本当に良かった」
セレッソ大阪でプロのキャリアをスタートさせた大久保は、2004年にマジョルカ(スペイン)、2009年にはヴォルフスブルク(ドイツ)と海外移籍を経験。ヴォルフスブルクでは有名なフェリックス・マガト監督の“軍隊式トレーニング”も経験した。
「マガト監督の練習はちょっと変でした。朝の6時から小学校の体育館に行って、小学生用の小さい跳び箱を跳んだり、でんぐり返しをしたり、ロープを吊るして手だけで登ったり。もう意味が分からなかった(笑)」と、国見高校出身の大久保にとっても、その独特な練習方法は衝撃的なものだった。試合明けのリカバリーでも1時間走をみっちりと行い、チームの不調が続くと森の中で緊急合宿を実施。「『明日行くから準備してこい』と急に言われるんです。もし、そのタイミングで日本から友人が来ていたら絶対に会えない」。
ドイツから帰国後、ヴィッセル神戸を経て川崎に加入した大久保は、良い意味で「トレーニングが違う」と感じたという。ボール回しやミニゲームなど、実戦を重視する風間八宏監督の練習方法は大久保に合っていた。筋力強化の個人トレーニングをすることもなくなった。
「20歳くらいの時は筋トレを“ガンガン”やっていました。体重も結構増やしたんですよ。でも、過度な筋トレは身体のキレを落とすし、けがもしやすくなる。それで激しい筋トレは止めました。今は、試合の3日前に筋肉に少し刺激を入れるくらい。ただ、腹筋、背筋、側筋、腕立て伏せなど体幹を鍛えるトレーニングは、試合のない日は毎日やっています」
今まで最もきつかったトレーニングを聞くと「やっぱり国見」だと即答した。国見で培った基礎体力、タフな精神力は、今でも大久保のプレーを支える土台になっている。そしてキャリアを重ね、海外経験も積んだ今では、自分の年齢や体力に合わせたトレーニングでコンディションを整えている。だがそれは、決して手を抜いているということではない。トレーニングの秘訣は「自分に勝つこと」だと彼は言う。「トレーニングでも全てにおいて自分に打ち勝っています。全勝ですよ(笑)。負けたらやった気にならない。妥協したら『ダメだ。もう一回やろう』となるので、そこはやりきる。そうしないとスッキリしない」。
自分をとことん追い込むことができる。それが大久保の強さだ。Jリーグ屈指の点取り屋としてキャリアの円熟期を迎えた大久保嘉人の勢いは、まだまだ止まりそうにない。
大久保嘉人 着用商品の紹介
■ナイキ サーマスフィア マックス
悪天候のトレーニングから体を守り、快適な着心地を提供するナイキ サーマスフィア マックス ジャケット ¥18,900
■ナイキ サーマスフィア フルジップ
ナイキ サーマスフィア フルジップ フーディは、耐久撥水機能を備え、風などの寒さから体を守り、トレーニング中の動きをサポート ¥10,800
By サッカーキング編集部
サッカー総合情報サイト