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「ジュビロでの経験は僕の財産」…磐田の黄金期を築いた名将・鈴木政一監督が語る、プロにも学生にも共通する指導法

2016.01.10

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写真=平柳麻衣

 2015年、母校の日本体育大学の監督に2年ぶりに復帰した鈴木政一監督。「クリエイティブでアグレッシブな攻撃サッカー」を掲げるチームは、開幕直後から圧倒的な強さを発揮して関東大学2部リーグ優勝、1部昇格を果たした。その強さの原点には、かつて鈴木監督が世界トップクラスの選手たちと過ごしたジュビロ磐田での経験がある。

初黒星も、ある意味でチームにいい刺激になる

――今シーズン、2年ぶりに日体大の監督に復帰して、まず感じたことは(取材は2015年11月上旬に実施)?
鈴木 3月に朝鮮大学校と試合をした時に、ゲームを見てビックリしたんです。プレスに行かず、引いて守ってという場面が多くて、結局ミドルシュートを打たれて1-1の引き分けに終わりました。僕が理想としているサッカーとは違って、選手もどうしたらいいのかわからずにプレーしているようだったので、次の日にミーティングをしました。すると、やっぱりみんな「プロへ行きたい」、あるいは「プロ選手を育てる指導者になりたい」ということだったので、プロの選手とはどのような選手のことか、僕が理想とする「オールマイティ+スペシャリスト」について説明し、そのために日体大は「“クリエイティブでアグレッシブな攻撃サッカー”をする」と話しました。そして、「この前のサッカーをやりたいのであれば、続けていくこともできるけど、どうする?」と聞いたところ、攻撃的なサッカーをやりたいと。その時、彼らに「要求は高くなる」と言ったのですが、本当に一生懸命、プレーしてくれているので、徐々にレベルが上がってきたなと感じています。

――2年前に指導していた時のメンバーも残っていましたが、監督が離れてから大きく変わってしまったのでしょうか?
鈴木 僕がU-19日本代表監督になった2013年のチームはすごくバランスが良くて、開幕前に鹿児島で行われた大会では結果も出て、「こいつらは良くなる」と感じていたんです。でも、いざ開幕すると、前期リーグはまだイメージを持ってサッカーをやっていた部分がありましたが、後期に入ってからは、ビデオで見たのですが、目的なしに動いたり、ドリブルしたりという場面が多くて驚きました。2部へ落ちたと聞いた時には、自分自身にも責任を感じましたね。

――再び日体大に戻ってきたのは、大学からの要望だったのですか?
鈴木 2部に落ちた年にも一度大学から、帰って来いという話をもらったんですけど、日本サッカー協会(JFA)との契約があるのでと断りました。その後、U-19日本代表がAFC U-19選手権で北朝鮮にPK戦で敗れ、U-20ワールドカップに出られなくなってしまったので、3月から日体大へ戻ることになりました。

――復帰すると決めた時、「絶対に昇格しなければいけない」というプレッシャーはありましたか?
鈴木 もちろん、大学側からは「上げてもらわないと困る」という話をされていましたので。最初プレーを見た時は少し「あれ?」と思う部分もありましたが、リーグ開幕前のキャンプや練習試合をとおして、これだったらある程度、上位に行けるのではないかと感じるようになりました。

――そして迎えた前期リーグは全勝で終えました。現在の関東大学2部リーグにおいて、この成績はどう感じているのですか?
鈴木 でき過ぎですよね。ただし、3月の熊本での戦術キャンプや、島原でのフェスティバルの時から、選手個々のトレーニングやゲームにおける意識が高く、いい経験ができていました。

――連勝している間、選手たちにはどんな言葉をかけていたのですか?
鈴木 一番の目標は1部に上がること。ただし、今年取り組んでいるサッカーを開幕戦から100パーセントに仕上げることは無理だったので、ゲームを重ねるごとに良くしていこうと話し、1試合ごと、内容=結果となるよう求めて活動してきました。

――後期リーグに入ると、第13節の拓殖大学戦で初黒星を喫してしまいました。その時のチーム状態は?
鈴木 僕も含め、どこかに安堵感を持ってしまったのかなと思います。前期はどちらかというと各チームが自分たちのサッカーをしてきたので、相手の背後にスペースがあって、スペースで活きるプレーヤーが結果を出せたけど、後期は対戦相手を分析して戦術を変えてきたチームが増えて、ラストパスやゴール前での動き、敵から離れる動きといった部分でいろいろな問題が生じました。ただ、それも彼らは今まで経験していなかったことだったので、ある意味でチームにいい刺激になると僕は思っていました。

――負けた経験も糧になると?
鈴木 そうです。勝ちながら修正していければベストなんですけど、まだそこまでのチームではないと僕は思っていたので。例えば、相手に引かれた時に活きるFWが必要な時、選手を代えないとできないんです。僕は「オールマイティ+スペシャリスト」の選手を求めているので、同じ選手が両方できることがベストだと思っています。相手がどのように守備し、攻撃するかを判断して、仕掛けてボールを奪い、得点が取れる「個人」、「グループ」、「チーム」を目指しているので。

――1部の方がガッチリと守りを固めてくるチームは少ないので、来シーズンの方が戦いやすくなるかもしれません。
鈴木 そうですね。でも、個々の選手の能力はやはり1部の方が高いので、自分たちの特長を消された時にどうするのか。例えば、ドリブル突破を得意とする選手の場合、ドリブルを抑えられた時にパスを選択できなければいけない。だいぶ意識は高くなってきましたけど、まだまだですね。そこは状況を見て選手を投入する監督の力量になってきます。あと、僕はいつも、勝利の要因は「ゲーム前の準備が8割」と言っています。あとの2割は僕が選手を代えたり、アドバイスしたりしますが、実際にプレーするのは選手です。試合では、選手たちが今までやってきたことをどこまでできるのかを見て、できるようになっていたら次の課題や目標を持たせるようにしています。

選手たちが「今日は楽しかった」と言える内容で結果も伴えば一番いい

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――日体大は選手をスカウトすることがあまりないとお聞きしましたが、セレクションではどういう選手を選んでいるのですか?
鈴木 現状では日体大でサッカーをしたい選手でいいと考えています。今年度は高体連から約60から70人、クラブチームから約30から40人くらいがスポーツ推薦で入学しました。さらに、一般受験や学校推薦で入ってくる選手を含めると120から130人くらいになります。選ぶ基準としては、特長がある選手ですね。同じタイプの選手を同じ学年に入れても競争になってしまうだけなので、特に前線はタイプが違う選手を選ぶようにしています。一方で、守備面は個人戦術もグループ戦術も、全体的なレベルアップが必要だと考えています。

――大学生のDFはまだレベルが低いということですか?
鈴木 守備面の個人戦術やグループ戦術で的確な判断力を持ってプレーできる選手に指導することは、中学生や、能力によっては小学5、6年生ぐらいから当たり前のようにできないと、試合の中で無意識にできるようにならないんです。今の大学生たちもせっかく強さや高さを持っているので、その年代でしっかり指導されていれば、もっといい選手になれたはずなのですが、やはり大学生や大人になってからだと覚えるのは時間もかかるし、もう少しレベルの高い指導が行えると考えます。

――鈴木監督はジュビロ磐田やアンダー世代の代表、そして日体大と様々なカテゴリーの監督を経験されていますが、選手へのアプローチ方法はそれぞれ変えているのですか?
鈴木 いえ、逆に僕が絶対に変えずにやっているのが、ゲームが終わって攻撃や守備の課題が出たら、次の試合までの1週間のトレーニングの目的を明確にして練習をスタートすることです。なぜかというと、人間を動かすのは大脳なんです。目的もわからずにトレーニングしても効果がありません。しっかりと課題や目的意識を持った中でトレーニングする1時間と、何も考えていない1時間では大きな差が出ますからね。ジュビロ時代から、「マサくんボード」と選手たちに呼ばれていたボードを使って、選手の組み合わせを考えたり、トレーニングの目的と内容を説明してからスタートするというのはずっと変えていません。

――具体的にはどんなことを伝えているのですか?
鈴木 例えばフィニッシュの精度が低いという問題に対して、オンとオフのプレーのタイミングとパスの精度が原因だと分析したら、選手に意識づけをします。センタリングを上げても、ゴール前で止まっていたら得点は入らない。スペースを共有して、ボールが来るまでの時間を考えて、いつ、どのタイミングでアクションを起こすか。そういう考え方を彼らに伝えて実際にトレーニングでやらせるんです。そこでもまた新たな問題は出てきます。選手それぞれの動くタイミングの問題なのか、全く動いていないのか、あるいは動いたけどボールが出てこなかったのか。それをまた改善していきます。

――プロ選手にも大学生にも同じように指導しているのですか?
鈴木 一緒ですね。やろうとしているのは、クリエイティブなサッカーです。例えば、相手が真ん中を固めてきたら、外でボールを動かすことによって敵を動かし、動いている間にチャンスメークができる、といったイメージを共有させることを毎日のように言っています。ただし、個人の能力に違いがあるため、能力に合った内容とコーチングが必要となります。

――これまで監督を務めてきた中で、鈴木監督自身が影響を受けた選手はいますか?
鈴木 ジュビロ時代に指導した名波(浩)、服部(年宏)、中山(雅史)、鈴木秀人、マコ(田中誠)は今でもサッカーの話をします。特にジュビロでの1年目は、何かおかしいなと思った時に、よくクラブハウスで名波をつかまえて話をしていました。2001年に一番良いサッカーをしていながら、チャンピオンシップでトニーニョ・セレーゾ率いる鹿島(アントラーズ)に負けた時、トニーニョはチャンピオンシップを何回も経験していたけど、僕は経験がなく、ましてや監督も初めてだった。その違いしかないと思ったんです。だからこそ、2002年は僕も周りも結果を求めていた中で、2002年の後期に、相手に合わせてメンバーを少し替えました。そうしたら、自分の中でしっくりこなくて、2001年のサッカーからどんどん遠のいてしまって。その時、名波に「どう思う?」と聞いたら、「マサくん、サッカーが変わったよ」と言われて、家に帰って2001年の試合のビデオを見て、納得したんです。そこから僕はまた、勝利のために相手を分析して戦うことより、内容と結果の両方を求めて、チーム力をアップさせるという考え方で戦いました。

――ある程度メンバーを固定しないと、連係を深められない部分もあると思います。
鈴木 サッカー選手ってみんないろいろな考え方を持っているんです。だから監督が必要で、監督が「この選手たちを活かすためにはどういうサッカーがいいか」を考えて、落としこんでいくわけです。それなのに、毎回メンバーを替えていたら、コンビネーションなんてないですよね。ある時、マンツーマンでディフェンスしてくる相手に対して、左サイドで(藤田)俊哉、名波、服部、中山と全部ダイレクトで7本くらいパスをつないで、最後は左からのセンタリングを高原(直泰)がニアで決めた試合がありました。お互いの特長を知っているからこそ生まれたゴールで、あれを見た時は感動しましたね。

――当時の磐田は魅力的なチームでした。
鈴木 僕がジュビロの監督をやっていた当時、社長が「世界一を目指す」といきなり言い出したんです。そして、ドゥンガや(サルヴァトーレ)スキラッチ、(ジェラルド)ファネンブルグといった世界トップクラスの選手を獲得してきて、僕は彼らのプレーを直に見ることができました。そして、「こんなところにパスを出すんだ」とか、「なぜあんな簡単に2人も突破できるんだろう」といったことを分析して、その答えにたどり着いた時、僕自身の指導者としてのレベルがワンランク上がったような気持ちになりました。ジュビロでは指導者として世界一流のプレーヤーを見られたし、スカウト部長も経験したし、育成のダイレクターもやらせてもらったし、いろいろな仕事をとおして様々な判断材料をもらえた。その経験は、僕にとっての財産ですね。

――最後に、関東1部に復帰する来シーズンへの抱負をお願いします。
鈴木 もっと個のレベルを上げないといけないし、組織力を持ったチームにしていかないと、また降格という最悪な状況もなきにしもあらずだと思っています。いい準備をして、いろいろなチームと戦って、なおかつ選手たちが試合を終えた時に「今日は楽しかった」と言えるような内容で結果も伴えば一番いいなと思います。

By 平柳麻衣

静岡を拠点に活動するフリーライター。清水エスパルスを中心に、高校・大学サッカーまで幅広く取材。

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