『2012-2013シーズン プレミアリーグ パーフェクトガイド』掲載
アーセナルからウィガンへ。宮市亮の新たなシーズンが始まった。
28日に行われたキャピタル・ワン・カップでウィガンでのデビューを飾ると、得意のスピードを生かして追加点の起点にもなった。ウーゴ・ロダジェガが去り、ヴィクター・モーゼスが去り、変革を迫られるウィガンの攻撃陣。宮市にかかる期待は、決して小さくはない。
新天地で確かな一歩を踏み出した宮市。そんな宮市の歩んできたキャリアを振り返り、若き快速FWの今後を見守ろう。
文=石井宏美
写真=Getty Images
鮮烈なデビューを飾り日本中の注目の的に
海外か国内か――高校卒業後の進路が注目される中、宮市亮はプレミアリーグの名門アーセナルから正式オファーを受けて仮契約を締結した。中京大中京高3年時、2010年11月のことである。18歳になる12月14日まで正式契約が結べなかったため仮契約となったのだが、なぜ、アーセナルはわざわざ《仮押さえ》までして極東の、しかも世界的に無名な若手を獲得したのか。それはアーセナルの世界的な名将アーセン・ヴェンゲルが心から宮市にほれ込み、いち早く手中に収めたかったからに他ならない。ヴェンゲル監督は宮市がA代表どころかプロキャリアもなく、イングランドでプレーする上で必要な労働許可証の取得が困難であるにもかかわらず、スカウト陣と自分の目を信じて獲得に踏み切った。
この快足ドリブラーを巡ってはJリーグの複数クラブに加え、海外の数クラブも獲得に乗り出していたという。しかし、2010年8月に2週間練習参加した憧れのアーセナルから正式にレターが届いたことで宮市の心は決まった。プレミアリーグのクラブと契約した初の日本人高校生選手の誕生の瞬間だった。しかし予想通り、イングランドの労働許可証は発行されず、2011年1月31日にフェイエノールトへのレンタル移籍が決定。まずはオランダ・エールディヴィジでプロキャリアをスタートさせることになった。
2001年から06年まで小野伸二(現清水エスパルス)が在籍していたフェイエノールトはオランダでも屈指の名門クラブだ。しかし、01│02シーズンのUEFAカップ優勝を最後にビッグタイトルから遠ざかり、リーグ戦でも長らく優勝争いに絡んでいなかった。しかも、宮市加入当時は2部降格の危機に陥るほどの不調で、アーセナルに比べると明らかに格下のクラブだった。しかし、アーセナルでの壮大な挑戦を控えた宮市にとってフェイエノールトは《試運転》として最適な場所だったのかもしれない。
実際、このレンタル移籍は大成功だった。宮市はすぐに出場機会を与えられ、そのチャンスを見事に生かした。加入直後の2011年2月6日、第22節アウェーのフィテッセ戦で、宮市は3│4│3の左ウイングとして先発出場。18歳1カ月23日でデビューを飾り、森本貴幸(現カターニア)が保持していた18歳8カ月21日という欧州主要リーグでの日本人最年少出場記録を更新した。そして宮市は、ピッチ上でも圧巻のパフォーマンスを披露する。試合開始からエンジン全開でピッチ上を疾走、前半40分には自陣左サイドから80メートル近くを攻め上がりペナルティーエリアまで進入した他、更に一対一で相手DFを何度も抜き去るなど、デビュー戦とは思えない堂々たるプレーを見せつけ、ファンや記者陣を驚かせた。
「緊張せずに楽しくプレーできた。自分が得意とするスピード感のあるドリブルはオランダでも通用した」と、宮市が笑顔でデビュー戦を振り返ると、この試合で対戦した安田理大(フィテッセ)も「存在感があった」とその実力を認めた。決定的な仕事には絡めなかったし、多少荒削りな面もあった。しかし、大舞台でも全く動じないハートの強さを見せた。インパクト抜群のデビューを飾った「リオ・ミヤチ」の名前は一瞬にしてオランダ中に知れ渡った。
その勢いは止まるどころか、むしろ増すばかりだった。6日後の2月12日、第23節ヘラクレス戦で初ゴールを記録すると、その後もレギュラーとして得点チャンスを量産。当時残留争いを強いられていたチームは宮市加入後6試合負けなしで12位まで順位を上げた。そして4月17日、第31節ヴィレムⅡ戦では2ゴール2アシストという《離れ業》をやってのけ、最終的には12試合出場、3得点3アシストとプロ1年目にして上々の成績を残した。「この4カ月間は自分にとって大きな財産になった。そして、少しのミスが失点につながるということもよく分かった」。手応えを感じつつ、プロの厳しさも知った。レンタル先での武者修行を終えた宮市は希望を胸にロンドンへと戻って行く。
[写真]=Akio Hayakawa/Photoraid.uk
アーセナルへの復帰、そして2度目の決断へ
アーセナルへ復帰を果たすのか、それとも再び他クラブへレンタルされるのか――。注目の去就は前者に落ち着くこととなった。フェイエノールトでの活躍が認められた宮市は、2011│12シーズンをアーセナルでスタートさせる。2011年7月のアジア遠征では初戦のマレーシア選抜戦で、アーセナルの一員として初出場を果たした。「ビッグクラブに加われてとてもうれしい。ここでみんなからたくさんのことを学びたい」と、これまで以上の充実感を得ながらプレシーズンを過ごした。
そして8月、宮市はついにイングランドでの労働許可証を取得。ようやくプレミアリーグに出場する権利を得た。「今シーズンはアーセナルに貢献してくれることを期待している」とヴェンゲル監督がエールを送れば、チームメートで同じ92年生まれのジャック・ウィルシャーもツイッターで「素晴らしいニュースだね。彼はすごい選手になるから、僕の言うことを信じてよ」とコメント。宮市への期待は日増しに大きくなっていった。
迎えたシーズン開幕。宮市は第2節、ホームのリヴァプール戦で初のベンチ入りを果たすと、続くカーリングカップ(今シーズンからキャピタル・ワン・カップに改称)3回戦、4部リーグのシュルーズ・ベリー戦で後半27分に途中出場。ついにアーセナルでの公式戦デビューを飾る。憧れのエミレーツ・スタジアムでのプレー、大観衆からの「リオ」コールに興奮せずにはいられなかった。アーセナルにおいては「ただのベンチ要員」だったかもしれない。しかし、チームの一端を担っていたことは間違いない。それだけに本人はできるだけ長くチームに帯同したかったはずだ。
しかし、少しずつ信頼を手にしつつある中、ショッキングな出来事が起こる。11月7日、フルアムとのリザーブマッチで左足首を負傷、6週間の戦線離脱を余儀なくされる。年末にようやく復帰を果たすも、同時期にクラブの伝説的FWティエリ・アンリの短期間のレンタル加入が決定。ただでさえ、出場機会が少なかった宮市にとって同じポジションでプレーできるアンリの加入は痛手だったに違いない。左右のウイングはセオ・ウォルコット、ジェルヴィーニョ、アンドレイ・アルシャヴィン、アレックス・チェンバレン、ヨッシ・ベナユンなど各国代表クラスの実力者がひしめくポジション争いの最激戦区。アンリの入団は宮市を《振るい》から落とす決め手となってしまった。
出場機会が約束されていない宮市には当然のごとく、移籍のうわさが付きまとった。アンリが加わったアーセナルのトレーニングに参加して先輩たちのプレーを学ぶのも選択肢として悪くはない。現に宮市自身も「アンリはお手本にしている選手なので、彼との練習は自分にとっていい勉強になる」とコメントしている。しかし一方で、自分にはフェイエノールトで活躍できるほどの実力があることも十分に理解している。
残留か移籍か、その決断を後押ししたのはヴェンゲル監督のこの一言だったかもしれない。指揮官は実戦経験こそがスキルアップやゲームを深く理解することにつながり、宮市の成長に結びつくと確信していたのだろう。「リョウを他クラブでプレーさせるか、我々のためにプレーさせるか、決めなければならない。今、リョウに必要なのはプレーすることだ」。現実的に見て、アーセナルでコンスタントに出場機会を得ることはできなかっただろう。となれば、必然的に移籍へと目が向く。新聞各紙は古巣のフェイエノールトの他、ヴェンゲル監督の母国フランスのヴァランシエンヌなどを移籍先候補に挙げていたが、移籍市場最終日の1月31日、宮市は同じプレミアリーグのボルトンへレンタル移籍することが決まった。
ボルトンで手にした確かな手応えと自信
この移籍を宮市自身はどう捉えていたのだろうか。「ボルトンでがんばります」との言葉通りポジティブな気持ちで新チームに合流しはずだ。アーセナルでいきなりレギュラーとなり活躍することがどれだけ難しいことか。宮市はそれが理解できるだけの現実的な考えと謙虚さ、加えてポジティブな思考を持ったクレバーな選手だ。このレンタル移籍も、自分の才能や存在価値をアピールする理想的なチャンスと受け止めたに違いない。
降格ゾーンに沈むボルトンはイ・チョンヨン、スチュアート・ホールデンと中盤の2人のキープレーヤーがケガで離脱していた。得点力不足に苦しみ浮上のきっかけをつかめていなかっただけに、チームが宮市に懸けていた期待は小さくない。ボルトンを牽けん引いんしていたイ・チョンヨンらの代役としてどれだけ活躍できるか、ボルトン首脳陣やメディアはもちろん、ヴェンゲル監督もその点に注目していただろう。
移籍発表から12日後、宮市は第25節ウィガン戦の後半からピッチに登場、念願のプレミアリーグデビューを果たした。フェイエノールト時代と同様、デビュー戦とは思えないパフォーマンスで指揮官の信頼を得ると、1週間後のFAカップ5回戦、2部のミルウォール戦では左MFでスタメン出場。この先発起用に宮市は結果で応えた。開始3分に左サイドからエリア内へと切れ込み迷わず右足を振り抜くと、ボールは逆サイドのネットへ。見事にイングランドでの初ゴールを決めた。「(オーウェン)コイル監督に印象的なプレーを見せることで感謝の気持ちを示したかった」。
結果を残した宮市はこのゴールをきっかけにリーグ戦でも5試合連続で先発出場。チェルシー、マンチェスター・シティー戦でもフル出場を果たすなどチームが厳しい残留争いを強いられる中で貴重な経験を重ね、2月にはボルトンの月間最優秀選手に選出された。3月に入っても好調をキープし、第28節QPR戦では決勝点をアシストしてマン・オブ・ザ・マッチ(MOM)に選出。更にこれまで未経験だった右サイドに起用される機会も増え、新たな課題も見つかった。
「とても大きな経験になった。左サイドと比べて中に入りづらくて相手DFの裏を突けなかった。MOMに選ばれたのは驚いたけど、チームメートと一緒に勝利を分かち合うことができて良かった。その前のチェルシー戦、マンチェスター・C戦も貴重な経験になった。リーグに慣れてきていることは大きいけど、成長するにはもっと試合に出なければならないとも感じている。右でも左でも同じくらいのプレーができるよう、更にプレーの幅を広げたい」
アーセナル、フェイエノールト、そしてボルトンで経験を重ねた宮市は3度目に迎えた分岐点でウィガンというクラブを選択した。プロになって4つ目のクラブ。見知らぬ土地で続く挑戦。
しかしまだ19歳。焦らず着実に経験を積んでステップアップしてほしい。
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