[Jリーグサッカーキング4月号 掲載]
1990年代後半から2000年代初頭にかけて黄金時代を築いたジュビロ磐田。この常勝軍団の司令塔に君臨し、左足からの正確なパスで強力なアタッカー陣を操り、ピッチ全体を見渡していた彼の鋭い眼は、Jリーグ全体の現在、そして未来をどう見ているのか。
インタビュー・文=青山知雄(Jリーグサッカーキング編集長) 写真=新井賢一
ここからは日本サッカー全体の話を伺っていきます。Jリーグを含め、サッカーを取り巻く環境はこの20年間で大きく変わりました。名波さんはどのように感じていますか?
名波 Jリーグが開幕した頃はクラブハウスがなかったり、公共施設を借りてトレーニングするチームが多かったですが、徐々に自分たちの練習場やクラブハウスを持ち、選手寮を作り、アカデミー組織を充実させるなど、整備されていったように思います。浦和レッズや横浜F・マリノスのように、20年間でしっかりと形を作ったクラブが、新興クラブの目指すべきモデルケースになる流れになりつつあるんじゃないかな。
プロ入り当時、Jリーグのレベルをどのように感じられていましたか?
名波 「本当にやっていけるのかな」と思いましたね。相手のプレッシャーの速さや体のサイズは不安要素でした。素早く判断しないと自分のところで潰されてしまうので……。
その不安を乗り越えたわけですね。
名波 急に体が大きくなるわけではないので、自分なりに生きる術を模索して、足りないところをどう補うかを考えました。そこはうまく乗り越えられたかなという気はしています。
現在、全国に40のJクラブがあります。プロサッカークラブが増えていることについてはどんな印象をお持ちですか?
名波 選手のクオリティーが分散される懸念材料があるとも言われますが、一方で地方や育成年代のレベルは上がっている。特に小さな子供たちの進化はすごいです。子供は見よう見まねで覚えていくので、プロの選手を見て襟を立てたり、シャツの裾を出したり、同じスパイクを履いたりすることから始まる。プレーでも「あのフェイントからのシュートはすごかったね」とか「あのボレーシュートをやってみたいから、クロスを上げてくれ」と友達同士で話す機会が増えるなど、身近にJクラブがあることで、上達する環境が整ったとは思います。
それは全国にJクラブがあることによる好影響の一つですね。
名波 それは間違いないですね。今後は地元の強豪校から地元のプロチームに入る流れができるとよりいいでしょう。そういう意味では全国に40のJクラブがあって、他にJリーグ加盟を目指しているクラブが10以上もあることはいい傾向なのかなと思います。もちろん、優れた選手が集まって、周りから目標とされるようなクラブが出てきてほしいところではありますが、先ほども言ったように戦力が分散している感がある。クラブ数に比例して選手数も多くなるので、セカンドキャリアを含めた雇う側の責任も、開幕当初より大きくなっているのではないでしょうか。
Jクラブの育成についてはいかがでしょう。
名波 これはクラブ間で温度差がありますよね。J1のトップクラブは非常に充実しています。サンフレッチェ広島、横浜FM、柏レイソルなどは選手をトップチームへ昇格させる流れが構築されていますが、それ以外はまだこれから。高校卒業から3~4年、つまり育成組織から計算して7~10年のスパンで育てることを考えているクラブがどれだけあるか。そういうビジョンを持っているクラブは当然、将来性があります。